梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

ビーズを作ったのは誰?

 すでにnetoさんにコメントいただいたが、先日紹介したBS「世界のドキュメンタリー」はどれもなかなか見ごたえのある内容で、また授業にも使えそうで、よかったよかった。

 ただ13日に放送された、「首飾りを作ったのは誰?  〜中国 出稼ぎ少女の労働事情〜」については、やはりというか、先日心配したとおりクルーグマンの批判がそのままあてはまるようなものだったので、個人的には「うーむ」、という感じだった。

 反スェットショップ運動、特に製品ボイコットに対する批判は何回も書いてきたので(カテゴリー[グローバリズム]をクリックしてください)繰り返さないが、今回の番組で一番気になったのは、見るものの「道徳的な優越感」をかきたてるような番組全体の演出である。

 こういった「道徳的な優越感」の対象となるのは次の二種類の人々である。まず、カーニバルでビーズを投げられると胸をはだけてみせたり、あるいはそれが誰が作っているかということに無頓着なままペニスやオッパイをかたどったビーズを投げつけあっている、資本主義の退廃の象徴のような(マイケル・ムーア風に言えば「アホでマヌケな」)アメリカの若者たちだ。

 そして、もう一つの道徳的非難の対象が、少女達を劣悪な条件で働かせている香港資本の企業の経営者である。
 ここで問題にしたいのはカメラが彼を追うときの姿勢だ。この番組はハンディカメラで撮影したものだが、経営者たちへのインタヴューはかなり下のアングルから、見上げるように撮られている。このような構図によって、観るものはいかにも彼らがわれわれを見下ろし、不遜な態度を取っているような印象を受ける。また、この中国人経営者が何か一言言うたび、それと明らかに食い違うような工場の様子のカットが編集段階で挿入されている。例えば、経営者が「従業員達はとても清潔な職場で安全に働いていますよ」と語ったすぐ後に、いかにも不衛生で危険そうな現場のカットが挿入される、という具合だ(どうやって経営者をごまかしたのだろう?)。
 こういったテクニックによって見る者(アメリカ人)は、この中国人経営者に対しいかにも金のためなら「平気で嘘をつく」、自分達の倫理基準では理解不能な人物だという印象を受けるだろう。まあ、番組に出てくる経営者は確かにかなり胡散臭そうな人物なのだが、だからといってハリウッドなどで描かれる典型的な東洋人のイメージを再生産するようなこういったメディア操作はやはり問題だろう。

 また、番組でも少女の故郷の農村の様子がカメラに収められてはいたが、平均収入はどの程度なのか、どの程度の農地を耕しているのか、なぜ収入は上がらないのか、といった農村の貧困、そして出稼ぎを生み出す背景についての説明はほとんどなかった。このような劣悪な労働条件を生み出す背景への理解を欠いたまま、観るものの道徳的感性だけに訴えたのでは、クルーグマンが指摘したように「とにかく不愉快な思いはしたくないから中国製のものはできるだけ買わないようにしよう」という「発言」というよりははるかに「離脱」に近い反応(id:kaikaji:20060805)を生み出すだけのように思われる。

 ・・さて、この問題について今年のはじめから折にふれ考えてきたわけだけど、その中で次第に強く感じるようになったことは、こういった反スェット・ショップ運動と、いわゆるフェア・トレード運動は似ているようで全く性質の異なるものなのではないかということだ。いうまでもなく、僕自身前者についてははどこまでも否定的だが、後者については条件付きでかなり肯定的にとらえられそうな気がしている。ただ、両者の違いは、単に製品ボイコットをするかしないか、といった運動の手法だけの問題ではないだろう。おそらく途上国との「公正な取引」について考えるとき、農産物と工業製品とでは根本的に異なるアプローチをしなければならないのではないだろうか。 
 というわけで、この続きはまた改めて詳しく考えてみたい。