梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

Jeffrey G. Williamson, Globalization And the Poor Periphery Before 1950(続)


前日のエントリid:kaikaji:20060708の続きです。

 また、グローバリゼーションの深化はまたそれぞれの国内における所得配分の状況にも影響を与えた。しかし、その方向性はその国がおかれた状況によってやはり非対称なものであった。グローバリゼーションにより、各国の相対的要素価格(地代と賃金の比率)には強い均等化の傾向が見られたが、この動きは土地が相対的に豊富な国(ラテンアメリカ・インドパンジャブ地方など)では地代の相対的上昇をもたらし、労働が相対的に豊かな地域(ヨーロッパ・アジアなど)では、賃金の相対的上昇をもたらしたからである。このため、前者ではグローバリゼーションと共に国内の富の配分が拡大したのに対し、後者ではむしろ縮小したのである。

 では、以上のような分析は、現在進行中のグローバリゼーションにおける先進国と途上国の間の格差を考える上でも当てはまり、先進国と途上国との所得格差は拡大していく可能性が高いのだろうか?
 この点に関するウィリアムソンの答えは否定的である。本格的な工業化が「中心国」に限られており、その他の地域では主要な生産要素としてとりあえず土地と労働の関係をを考えておけばよかった19世紀から20世紀前半までのグローバリゼーションとは異なり、現代は多くの途上国において工業製品が主要な輸出品になっている。このような状況では、生産におよぼす「土地」の果たす役割は相対的に低下し、本書でウィリアムソンが展開したような、土地と労働の初期賦存状況と、グローバル化による地代と賃金の間の相対要素価格の均等化傾向に依存した議論の説得力は当然下がることになる。現代ではむしろ、貿易の拡大は途上国と先進国の経済格差を縮小させる方向に働く可能性が強い。近年の世界経済における中国・インドの台頭はそのことを端的に示している。


 本書は、グローバリゼーションと各国間/内の所得格差との関係について、マルクス主義=従属論的とは別の方法論によって分析を行ったものだが、また同時に、この問題に関する従属論のなごりとも言うべき図式的でイデオロギッシュな考えが、なぜ現在でも(ネグリ=ハートに典型的に見られるように)根強いのか、ということに「歴史経路依存的な」説明を与えてくれるように思われる。

 つまり、19世紀初頭以降の150年間、というある特殊な条件の下でもたらされた、グローバル化の進展⇒「中心」と「周縁」の格差拡大、という構図に関する「歴史の記憶」があまりに鮮烈だったために、それこそがグローバリゼーションのもたらす「真の姿」だという「神話」が左翼陣営の中に強烈に刷り込まれてしまい、いくら戦後のアジア諸国の経済発展を目の当たりにしてもそれは揺らがなかった、ということではないだろうか。

 だが、これは「歴史を客観的に判断して現在の教訓とする」という態度からは明らかに逸脱している。グローバリゼーションは、ある条件の下では格差を拡大させるが、ある条件の下ではむしろ縮小させる。そしてそれはグローバリゼーションの歩みを遅らせようとする試みが行われた場合でも全く同じことが言える。グローバリゼーションによる富の格差への影響を問題にするならば、まずその「条件」とは何かを経済学的に明らかにした上で、規範的・政治的な議論を行うべきなのだ。本書は、何よりもそのことを教えてくれる。