少し前に、田島正樹先生が、ブログの中でやや唐突に石原吉郎について語っていた。この詩人の名は、僕にとっても最近の靖国問題についての議論の盛り上がりの中で、非常に気になる存在だったが、あいにく手元に一冊もその著作がなかった。というわけでようやく研究が一段落した折に、とりあえず手に入りやすい現代詩文庫『続・石原吉郎詩集』ISBN:4783708878 を注文してその作品を読み返してみた。
個々の詩について感慨深いものがいくつもあったのだけど、ここで取り上げたいのはそこに収められていた「アイヒマンの告発」という短いエッセイのことだ。
現代詩文庫の古いほうのバージョンは読んでいたのだが、このエッセイについては読んだ記憶がなかった(増補版ということだから後で付け加えられたのかもしれない)。このテキストの中で石原は、当時国内の左翼運動の象徴としての意味が強かった広島の平和運動への違和感を次の二つの視点から表明している。一つは、政治的な「告発」は「当事者(被害者あるいは目撃者)自身」によってしかなされるべきではない、という立場からであり、そしてもう一つは、政治運動としての「告発」が、基本的に死者の「計量可能性」の前提に立っており、一人ひとりのの犠牲者をないがしろにすることにつながっているのではないか、という視点からである。
特に後者の視点から発せられた、次のような言葉は痛烈である。
私は、広島告発の背後に、「一人や二人が死んだのではない。それも一瞬のうちに」という発想があることに、つよい反撥と危惧をもつ。一人や二人ならいいのか。時間をかけて死んだものはかまわないというのか。戦争が私たちを少しでも真実へ近づけたのは、このような計量的発想から私たちがかろうじて脱け出したことにおいてではなかったのか。
「百人の死は悲劇だが、百万人の死は統計だ。」これはイスラエルで、アイヒマンが語ったといわれることばだが、ジェノサイドをただ量の恐怖としてしか告発できない人たちへの、痛烈にして正確な解答だと私は考える。
死者がもし、あの世から告発すべきものがあるとすれば、それは私たちが、いまも生きているという事実である。死者の無念は、その一事をおいてない。死者と生者を和解させるものはなにひとつないという事実を、ことさら私たちは忘れ去っているのではないか。
現時点で、上記のようなテキストから「レヴィナス」「アレント」「記憶」「証言(の不可能性)」「他者(と死者)」といったキーワードを連想するのはたやすい。事実ネットを調べて見た限りでもそういった連想をしている人は結構いるようだ。また、レヴィナスの『存在の彼方へ』の講談社学術文庫版の合田正人による解説にも石原吉郎への言及がある。だが、こういったいかにも「冷戦後的な」キーワードと石原の思想との関わりについて深く掘り下げる余裕と力は僕にはない。
ただ、ここで書きとめておきたいのは、このような石原の「いかなる告発を否定する」思想は少なくとも当時の「論壇」や「政治運動」の文脈では完璧に無視され、敗北したように思われるということ、そして、それにもかかわらず、その言葉や詩は現在に至るまで読むものの心を深く捉え続け、彼の思想が「戦争と追悼」という問題を考える上でどのような意味を持つか考えた人も少なからずいたのではないか、ということである。
石原の「告発を否定する」思想が徹底的に敗北した、という点に関しては、まず現代史文庫に掲載されている吉本隆明と鮎川信夫の対談、とくに吉本の示す石原の思想へのあまりの無理解ぶり(この中で、彼は石原の姿勢は社会とか国家とか言うものについてあまりにも無防備なものだ、と切り捨てている)が象徴的である。
また、80年代に入ると、石原が70年代に疑問を投げかけたヒロシマ・ナガサキの平和運動に別の視点から痛烈な批判が投げかけられるようになる。それは、いうまでもなく「被害者性を強調するあまりアジアへの加害者の視点を欠いている」という、皮肉なことに、石原が否定した「当事者ではないものによる告発」という姿勢をそのまま受け継いだとしか思われないロジックによるものであった。その政治的な「転換」の中で、かつて石原がヒロシマに対して投げかけた問いかけは見事なまでに無視されたといえるのではないだろうか。
だが、そのようにして徹底的に敗北した思想にしては、石原吉郎の詩や思想はあまりにも「忘れ去られていなさすぎる」ように思うのだ。今回改めてネットでいろいろ検索を賭けてみてその思いを一層強くした。つまり、このネット社会においても、多くの人が彼の言葉から「何か」を受け取り、その「意味」について考えようとしている。しかし、だとしたらなぜ冷戦後の状況の中で改めて戦争に関する問題が提起される時、彼がかつて提起した立場は依然として無力であり続けたのか。あるいは、徹底的に敗北した思想だからこそ、逆に多くの人たちをとらえ続けてきたのか。
・・話が大きくなりすぎたのでこの辺で自重しようと思うが、とりあえず、石原の詩や思想にひかれてきた身近な人に、なぜひかれてきたのか、ということをもう一度問い直すことからはじめてみたい。僕の場合、その対象はとりもなおさず父である。父の本棚にその主要な著作がほぼそろっていなければ、この詩人が僕にとってこれほど気になる存在になることはありえなかっただろう。残念ながら『望郷と海』をはじめ彼の主要な著作はほぼ絶版になっている。しかし、幸いなことに僕は実家に行けばそれらを読むことができる。今度、本を何冊か借りに行くついでに、上に書いたようなことについて一度父に尋ねてみようと思う。