梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

ディレンマ

 このところ、中国経済研究と称してひたすらデータを打ち込みEviewsやTSPを走らせてあーダメだやり直し、というようなことを繰り返していたわけです。全ては見切り発車でてをあげる自分が悪いのだが、空いている時間をすべて作業に費やさないとどうも間に合わないらしい、ということが判明してからは読むのも書くのもひたすら禁欲していたので、特に自分のようなもともと関心が拡散しがちでブッキッシュな人間にはストレスがたまることこの上なかった。また、中国語の新聞サイトをチェックすることはおろかブログを巡回することもおこたっていたので、中国をめぐる現実の動きにも全然ついていけていない。
 こういうのを「お気楽な実証研究生活」というのだろうか。自分で書いといてなんだが、やっぱり違うような気がするなあ。


 というわけで一段落ついたからこそ早速こうして書いているわけだが、ここでちょっとネタにしたいのは研究テーマに関連する情報をネットであさっている時に発見した、中国のマクロ経済に関するとあるワーキングペーパーについてである。この研究自体はなかなかの力作で興味深い内容だったのだが、それについてはとりあえず今は触れない。
 で、このワーキングペーパーだが、実は参考文献に中国語の文献が一つも挙げられていないのである。まあそれ自体はいいとしても、少しショックだったのは、本文の中で一応関連する中国語の先行研究についても言及はされているのだが、それに直接あたっているわけではなく、日本語文献のサーベイを孫引きして「…という研究もあるらしい」という記述で済ましてしまっている点である。要するに、こういったマクロの研究においては中国語論文の参照は特に必要としない、というのがすでにデフォルトになりつつあるのかもしれない、という風潮を感じて、少し感慨にふけってしまったわけである。

 確かに、中国の経済専門誌に掲載されたマクロの時系列分析の論文などには、単位根検定もろくに行っていないものもあり、概してレベルはそれほど高くないのは事実なので、まあスルーしてもいいっちゃいいのかもしれないが、それにしても、中国のことを扱う以上中国語の関連研究には一応当たっておくのが当然、という「文化」で育ってきたものにとってはこれはちょっとしたカルチャーショックではあった。ちょっと前の日本で書かれた中国経済研究の論文には英語の参考文献が1本も引用されていない、ということも珍しくなかったのだがねえ。

 こういった事態は別にマクロの分野だけのことではない。ここでも取り上げた藤本グループの研究書ISBN:4492521542、園部哲史・大塚啓二郎『産業発展のルーツと戦略』ISBN:4901654349 といった近年の優れたミクロの企業研究についても、中国プロパーではない(中国語ができない)研究者によって組織されたものが目立つようになってきている(もちろん中国人留学生の協力は必要だが)。
 
 このままでは、そのうち、これまで時間をかけてへたくそながら何とか中国語を習得したり、わざわざ中国に留学して中国人学生に論争を吹っかけられ、それまであまり考えてもいなかった戦争責任問題に頭を悩ませたり、別に読みたくもない高橋哲哉の本を読んでみたり・・などというのは全て膨大なサンクコストであり、今後あらたに中国経済を研究するにあたってはそんな暇があるならさっさとアメリカにでも留学したほうが希少な時間の使い方としてよほど効率的だ(あちらでも中国語もその気になれば習得できるし)、てなことになりかねない。もちろん、こちらとしては「余計なこと」に気を取られることにこそ地域研究をやるうえで必要なのだ、ということを声を大にして言いたいわけだが、そう言ったところですぐに研究業績に反映されるわけではないし。

 ブログに遊びに来ていただいた方ならわかってもらえると思うが、僕は普遍的な方法論を持った経済学の重要性については十分認識しているつもりなのだが、地域経済研究、という分野の今後の方向性を考えると時々上記のようなディレンマを感じてしまうのもまた事実である。
 まあこういったディレンマを抱えること事態は問題意識を持続する上でも必要だとは思うのだが、いかに反経済学的な思考に落ち込むことなくそういった問題意識を持ち続けていくかというのは言うほど簡単ではない。そういう路線を追求する先達として尊敬していた原洋之介先生も、最近の発言にはやや反経済学的な危うさを感じることがなきにしもあらずではあるし。

 というわけで、学会が終わったらその原先生の監訳になるジョン・トーイ『開発のディレンマ』ISBN:4495864912 でも手に入れて考えてみるか。