梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

お土産と中国での調査と女体盛

 今日青島から帰国。昨日はお土産を買い揃えるべく青島市内のジャスコとその周辺にあるブックセンターに行って抗日戦争ドラマ『記憶の証明』のVCDと江沢民の伝記を手に入れてきた。読みたい本やビデオはいっぱいあるのに何が悲しくてこんなくだらないものを読んだり観たりせにゃならんのか、と我ながらため息がでるが、まあなんというか性だから仕方がない。まあ『記憶の証明』は幸い全話のストーリーを紹介してくれている奇特な方がいらっしゃるので、それを先に見て見逃せないシーンだけを追っていくことにしよう。

 江沢民伝『彼が中国を変えた』は一言で言えば彼が名を末代まで残すべくお抱え外国人(およびそのゴースト)に書かせた究極の提灯本(表紙が赤いので赤提灯本か)で、ほとんど突っ込みどころを探すためだけに買ったようなものである。この本が書かれた経緯に関しては下記の記事を参照。

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/china/news/20050301ddm007030058000c.html

 ・・僕もいつかは「韓流好き中国研究者」を名乗りたいのだが、その日は遠そうである。


 中国研究者を名乗っていながら、僕が単独で中国人だけを相手に中国語のみを用いて調査を行うのは実は今回がはじめてである(集団の一員としてなら経験あり)。中国語にもインタヴューの能力にもずっとコンプレックスを抱いていたのだが、今回の経験で優秀な中国側パートナーさえいれば何とかなるということがわかったので、今後はできるだけこういう機会を増やしていきたいと思っている。
 さて、当たり前のことかもしれないが、同じ中国で調査を行うといっても、中国語のしゃべれない人たちと一緒に通訳つきで行う調査と、中国研究のプロパー(つまり中国語ができる人たち)と一緒に行う調査と、今回のように単独で行う調査とでは、そこで目に入ってくるもの、耳に入ってくるものは全く異なってくる。

 同じ中国語で行う調査であっても、集団で行く場合と個人で行く場合の大きな違いは、後者では基本的に「多勢に無勢」「相手の土俵に乗り込んでいく」という形になることである。
 たとえば、今回は上にも書いたように中国側のパートナーに恵まれて、調査先の企業からもいやな顔をされることもなく、終始順調に調査を進めることができたのだが、それでも調査先の企業の人たち(その多くはパートナーの友人あるいはその友人である)に招かれて酒宴に参加していると、「いいなあ、日本人の奥さんは夫が遅く帰宅しても必ず起きて待っていて背広を脱がしてくれるんだろ?」とか、「日本の企業は昔中国人を馬鹿にして中国に来てもあまり高級な製品を作ろうとしなかったが、今になって欧米や韓国の企業に遅れをとったので後悔しているんだろう?」といった(中国に住んだことのある人間には)おなじみの紋切り型の日本論を披露されることになる。新たな展開としてはそれに「お前は女体盛を食べた(こういう言い方が正しいのかどうかわからんが)ことがあるか?」という質問が加わったことぐらいか。
 
 ここで重要なのは、彼ら/彼女らとて戦争責任とか靖国の話をもろに持ち出したりするわけではないのであって、要するに彼ら/彼女らなりの基準では上記のような話題は日本人の前で持ち出しても「セーフ」だと捉えられているようなのだ。だが、それを聞かされるほうは当然、愉快な気分はしない。こういうことを書くと上記の反日戦争ドラマや江沢民の伝記と同じく、何が悲しくてそんな不愉快な思いをしにわざわざ中国なんかにでかけていくのか、という突っ込みをうけそうである。

 そこのところは、はっきり言って僕にもうまく説明できない。ただなんというか、こういった「濃ゆい」体験を定期的にすることが、日本にいて文献だけを読んでいる時には往々にして忘れてしまいがちな、「自分達の研究対象はこんなに一筋縄ではいかない相手なのだ」ということを改めて思い起こさせてくれるという意味で、中国に対する関心を持続させていく上では案外重要なのかも、と思ったりする。・・・うーんでもこれじゃやっぱり中国なんかに全然関心のない人たちを説得できないだろうなあ。