梶ピエールのブログ

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2冊の本におけるユーロ評価から


 帰りの電車の中で坂田豊光『欧州通貨統合の行方』』中公新書)を読んでいて、段々腹が立ってきた。いや、といってもこの本に対してではない。基本的にきちんと現実のデータに即して通貨統合の成果と問題点をバランスよく論じた良書なのではないかと思う。腹が立ったのはこの本に比べての黒田東彦『通貨の興亡』の内容のあまりのいい加減さにである。


 坂田本は、各国が困難を乗り越え通貨統合をなし遂げたことの意義を評価しながらも、誕生後5年を経過して、EU域内の各国経済が、

・各国が金融政策を放棄した結果、慢性的な失業率に大して有効的な対策を打ち出せないでいること
・財政政策に関しても、域内の「安定成長協定」によって各国の自律的な政策運営にはかなりの足かせがはめられていること
・資本の移動はかなり自由に行われているものの、域内の労働力の移動はなかなか進んでいないこと

 など、数々の困難な問題を抱えていることをきちんと指摘している。

 ところが、黒田本においてはEU域内経済自身が抱えている上記のような問題点に関して何一つ具体的な言及がない。そういった域内経済の問題点を一つづつ検討するという地道な作業の代わりに、この本で目立つのは、ユーロが国際市場でどの程度影響力を持っているか、つまり実質的にどの程度ドルに対抗できる力を持っているか、といった点にのみ注目してその「意義」を賞賛するという姿勢である。
 しかしユーロが国際市場でどう評価されるかどうか、ということは結局EU域内における経済運営がうまくいっているかどうか、にかかっているわけで、その点に関するシビアな評価抜きにいきなり「ドルと対抗できるか」などといった大層な問題を論じても全く意味はないはずである。が、黒田氏はそういったEU経済の現状にはお構いなしに、とにかくユーロのもつ意義をたたえたいらしい。
 わかりやすく言えば、「そりゃ少しくらいの問題点はあるかもしれないけど、通貨統合というスゴイことをやってのけたEUなんだから、それくらい何とかのりこえるさ」「EUは通貨の統一というできそうもないことをやり遂げたのだ、だからすばらしいのだ」というのが黒田本におけるEUとユーロに対するスタンスである。この黒田氏のユーロに対する過剰なまでの評価が氏の唱えるアジア共通通貨構想への露払いになっていることはいうまでもない。
 だが、坂田本の冷静な記述を読めば、あのEUでさえ、これだけ通貨統合によるマクロ政策におけるフリーハンドの喪失によって苦しんでいるのだから、EUとは比べ物にならないくらい各国が固有の経済問題を抱え、また域内における労働力の移動も進みそうにない東アジアにおいてその導入を検討することがいかに非現実で、また危険を伴うものであるかということは明らかだと思う。

 このほか、黒田本では人民元切り上げが必要である最大の根拠として依然としてバラッサ=サミュエルソン命題の存在を挙げていたり(実際は白井早百合らが指摘するように中国では内陸部からの余剰労働力供給があるため製造業における目だった賃金上昇は起きておらず、バラッサ=サミュエルソン命題による実質為替レート切り上げの圧力が働いているとは考えがたい)、現行の人民元レートの過小評価の度合いについて「30−40%という人もいれば5%程度という人もいて、よくわからん」と書いていながらそのすぐ後で「しかし、大幅に過小評価されているのは間違いない」と堂々と書いていたり(5%程度が「大幅」だろうか?ここまでくると日本語能力の問題だが・・)、はっきりいってあまり勉強せずにいい加減なことを書いていると思われる箇所があまりに多い。

 というわけで、総合的に見てこの『通貨の興亡』という本はトンデモ本に限りなく近いといわざるを得ないのではないかと思う。こういった本を平気で出すような人物がこれからも日本の対アジア経済政策において何らかの影響力を持ち続けるのだとしたら、かなり暗い気持ちにならざるを得ない。

参考: http://reflation.bblog.jp/daily/2005-03-4/