「環境リスク学」の第一人者である中西準子さんの環境ホルモンに関するシンポジウムへの参加記。
http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak286_290.html#zakkan286
ことに、以下の文章は自戒の念をこめて、ここに貼り付けておこう。
学者が、他の人に伝える時、新聞の記事ではおかしい。新聞にこう書いてあるが、自分はこう思うとか、新聞の通りだと思うとか、そういう情報発信こそすべきではないか。情報の第一報は大きな影響を与える、専門家や学者は、その際、新聞やTVの記事ではなく、自分で読んで伝えてほしい。でなければ、専門家でない。
もう一つ気になることがある。それは、様々な大学が開いている市民講座、社会人講座などでの講義の内容である。
この講義の内容を見ると、かなりの講師がその論文を読んでいないことが分かる。つまり、新聞に出たり、××本に出たものを、そのまま持ってきて教材にしている。これは、どうみても専門家の責任を放棄しているとしか言いようがない。
学者は、その論文の内容を、教材や、講演の素材や、新聞やTVで使う時、必ず論文を読むべきだ。非専門家に話す時には、必ずそうしてほしい。それが、専門家として期待されていることだから。
その一歩を踏み間違えないこと、それがリスクコミュニケーションで最も重要なことだと私は考える。
中西さん自身があちこちで語っていることだが、中西さんの父君は戦前満鉄調査部にいた辣腕調査マンで、左翼活動で死刑判決をうけたこともある中西功氏である。彼は、日中戦争期に農村国家である中国のもつ潜在的抵抗力を的確に分析し、対中国戦を続けることのリスクを解いた優れた報告書(『支那−ワープロが変換してくれない−抗戦力調査報告』)に纏め上げたが、結局その報告書は無視され、日本は泥沼の戦争を続けていくことになった。その父親の苦い経験が中西さん自身が科学的かつ客観的な判断基準に基づいた環境リスク評価の研究を志すきっかけになったという。
僕の専門の周辺で、中西さんの存在を知っている人はそう多くない、いや、ほとんどいないといってもいいだろう。でも別に父親が満鉄調査部の関係者だからというだけではなく、現在においてなお感情論と政治的配慮が先行しがちな中国という対象を論じる際にも、中西さんの説く冷静なリスク評価の精神は大いに有効なのではないだろうか。