http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20080719
ウィットフォーゲルによる「アジア的専制」に対する仮借のない批判は、それが一旦アジア社会内部の人間によって血肉化されるとき、むしろその主体的変化のための強力な武器となりうるのではないか。石井氏がそう主張する背景には、第二次天安門事件前夜の中国の民主的機運の盛り上がりのなかで、ドキュメンタリー『河殤』のように中国社会の「専制性」を問題とする作品が話題を呼び、また趙紫陽のような開明的指導者自身がなによりも「党支配の専制性の解体」を切実な問題意識として抱いていた、という事実がある。