- 作者: 伊藤正
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2008/02/01
- メディア: ハードカバー
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いずれ単行本になるだろうと思っていたけど、毎回挿入される写真が貴重なので今までせっせと産経(研究費で購読しているのです)の記事を切り抜いていた。単行本化に当たって再構成されるのかと思っていたが、ほぼ連載通りの内容で上巻だけが先に出た。天安門事件前後から、南巡講和までの政治過程には今だ「定説」といえる分析は存在せず、今後出てくる資料や関係者の証言によっては本書の記述も覆る可能性もあるが、第一線で取材を続けていたジャーナリストによる現時点での整理ということでは大いに参考になる。
本書の白眉はやはり趙紫陽氏の立場の変化を中心に天安門事件をめぐる政治過程を追った第一部だろう。一般的に、党総書記だった趙紫陽は学生の民主化運動を支持したためにトウ小平ら長老の逆鱗を買って失脚した、と理解されている。しかし本書によれば、実は彼はその前年の価格改革による国内経済の混乱の責任を追求され、民主化運動が盛り上がる前には既に事実上党内での実権を失っていた。
代わって採用されたのが保守派による「調整政策」だが、これは国家統制の強化によって無理やり事態の収拾をはかるもので、インフレ期待が十分に低下しないまま供給が押さえつけられたため、生産指標は明らかに低下しているにもかかわらず消費者物価指数は翌89年まで上がり続けた。このように典型的なスタグフレーションの様相を呈していたのが天安門事件前夜の経済状況である。
この時期の明らかな「経済失政」がなければ、おそらく多くの市民が学生達の民主化運動を支持するということもなかっただろう。CITICや四通公司など、いくつかの大企業が学生達を支持していたというエピソードはこの意味で象徴的である。趙紫陽は、このような保守派の「経済失政」への民衆の失望を背景に、民主化運動に柔軟姿勢で対応し解決するという処方箋を示すことで、強硬一本やりの保守派から主導権を奪い返そうとする最後の権力闘争を挑み、そして敗れたのである。
このことから分かるように、この時期の中国には「民主とビジネス」のつかの間の蜜月ともいうべき状況が存在していた。いうまでもなく、両者の間に決定的な楔を打ち込んだ人物こそトウ小平である。その楔は現在にいたるまで打ち込まれたままだ。
その後南巡講和まで続く保守派とトウ小平との激しい主導権争いも興味深いが、その中で江沢民がほとんど何の役割も果たしていないのは印象的だ。上海市党書記時代、胡耀邦の名誉回復を要求する知識人たちを抑えつけて長老らの信頼を得たこの人物は、総書記に抜擢されてからというもの、政治面だけでなく経済面においても保守派に追従する姿勢ばかり見せていたということが改めて浮き彫りになる。総書記を引退してからの江沢民は、胡錦涛や温家宝の「親民路線」との対比で、むしろ自己の「改革派」イメージを強調してきた。しかし、実態はどうみても単なる定見のないオポチュニスト、もしくは驚くほど「凡庸な現実主義者」であったということがよく分かる。しかし本当に驚くべきは、このような凡庸な指導者の下で10年間も高度経済成長を続けた中国の現実かもしれない。