梶ピエールのブログ

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趙紫陽の回想録

 先週末から資料収集のため香港に行っていたのだが、向こうの書店で購入し、帰りの飛行機の中で読み始めたらあまりに面白くて止まらなくなったのが、趙紫陽が晩年にテープ録音したものをまとめた回想録『改革暦程』だ。

 これは香港の書店という書店で必ずおいてあり、すでに大ベストセラーになっている話題作だが、さすがにこれはすごい。間違いなくここ20年に出版された中国関係の書籍のの中で最も重要なものの一つであるばかりか、20世紀の世界の指導者の回想録としても5本の指に入る作品ではないだろうか。もし趙紫陽が失脚することがなければ、このような生々しい回顧録を残すこともなく、当時の政策決定のかなりの部分がブラックボックスのままで残されていただろうと考えると、「歴史の皮肉」ということを思わざるを得ない。本書の意義についてはとりあえず劉燕子さんのブログ記事を参照のこと。すでに英語版も出版され話題を呼んでいるが、日本語訳の出版も待ち望まれる。

Prisoner of the State: The Secret Journal of Premier Zhao Ziyang

Prisoner of the State: The Secret Journal of Premier Zhao Ziyang

 さて、天安門事件に関する記述についてはいずれ本格的な分析が日本でも出てくるだろうが、個人的には、それ以上に1980年代の経済改革の実施の決定現場における証言が非常に興味深かった。中国経済のテキストでは「市場化経済の導入が決定された」の一言で済まされがちだが、実際には指導者たちの生々しい思惑と駆け引きの末に実行されたということがよくわかる。
 
 中でも重要だと思われるのが、天安門事件の要因ともなった1988年の価格改革―主要物資の二重価格制の廃止―に関する記述である。
 通説によれば、趙紫陽主導のもとで行われた1988年の価格改革の断行により、物価が急騰した社会不安を招いたことが、市場経済の導入に反対する保守派の格好の攻撃材料となり、趙紫陽が実権を失う最大の要因になったとされる。これに対して趙は、価格改革は財市場におけるゆがんだ需給関係の是正のためにぜひとも必要なものであり、慎重に準備を進めていたので「軟着陸」は可能であったと述べている。問題は、価格改革そのものではなく、その具体的内容が固まらないまま新聞やテレビなどで大々的にその実施が予告されたため、「価格改革によって生活必需品の価格がこんなに上昇する!」という流言が広まり、人々の期待インフレ率が上昇した結果、買いだめや預金の取り崩しなどの行動を政府がコントロールできなくなったためだという。
 さらに、一旦急上昇した期待インフレ率を沈静化させるためにはすばやく金利を上昇させ金融を引き締める必要があったのだが、李鵬や姚依林などの保守派が金利を上げると生産が落ち込むのではないかと恐れて反対したためそれができなかったのだ、としているのも実に生々しくて面白い。

 さらには、趙と胡耀邦の微妙な関係に関する記述も興味深い。一般には、胡と趙は経済改革の必要についてはほとんど意見を同じくしていたものの、政治の民主化・自由化に関して積極的だった胡耀邦に対して趙はかなり温度差があり、それが1983年の精神汚染一掃キャンペーンなどで結果的に胡の立場を苦しいものに追いやる原因になったとされる。

 しかし、本書の中で趙は、むしろ農村改革が成功に終わった後の1980年代半ば以降の経済改革の進め方について、胡耀邦との間に深刻な路線対立があったことを強調している。趙によれば胡は、農村改革の成功例をそのまま都市の国有改革に当てはめることができるとし、その実施を急ごうとしたのに対し、趙は改革の効率性を重視する立場から、農村と都市の根本的な状況の違いに配慮し、また、地方政府の野放図な要求を抑えるためにも、急激ない改革の実施に慎重な見解を示したという。趙は、このときの胡の姿勢を「盲目的にGDPを追求する病」に陥っていたのだと批判している。こういった両者の立場の違いは、これまで十分認識されてきたといえないのではないか。

 また、胡耀邦トウ小平の信認を失い、1987年に失脚にいたる過程の分析については、まず政治と言論の自由化を追求する姿勢がトウの不興を買った、という通説に近い見解が述べられる。しかし、日本などでしばしば強調される、胡と日本の中曽根首相との「蜜月」関係が、教科書問題や中曽根の靖国参拝によって保守派に攻撃材料を与え、結果的に彼を窮地に立たせた、という点に関しては、趙自身は「トウ小平と胡の関係には何も影響していない」とあっさり切り捨てている。むしろ決定的だったのは、1985年における香港のジャーナリスト陸鏗の会談において、彼が述べた内容が共産党政権への攻撃材料として使われ、それをトウが苦々しく思ったことだという。この陸鏗という人物のことは恥ずかしながら今まで知らなかったのだが、彼の自伝は日本語にもなっているようで、今年6月に亡くなっている

 ほかにも深読みできそうな点は一杯あるけれど、とりあえず備忘をかねて、今回はこの辺で。