梶ピエールのブログ

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スタンフォード大カンファレンス報告・その1 

 春学期が終わってからできるだけシンポジウムやカンファレンスの類には出るようにしているのだが、今回のスタンフォード大のカンファレンスはさすが参加者が豪華なだけあって今までの中では一番ためになるものだった(まあ中にはorz、としか言いようのないセッションもありましたが)。以下、特に興味深かったいくつかセッションの内容について紹介していきたい。

 なかでも印象に残ったのはケネス・アローがプレゼンテーターの一人としてパワーポイント使って報告していたことで、一体いくつなんだと思ったら今年で85歳じゃないか!すごすぎ。さすがに細かい実証の部分は若い共同研究者が報告していたけど。

 内容は持続可能な経済成長のモデルを拡張して、石油などの天然資源の需給逼迫がどの程度中国の成長の足かせになるのか、を実証的に明らかにしようとした非常にホットで意欲的なもの。彼らの分析によると、ここ近年の中国(およびアメリカ)では、経済成長に対する天然資源の寄与度は原油価格の上昇などのために減少しており、それを人的資本と再生産可能資本(機械設備など)の急速な成長がカバーしてきた。したがって今後もこの成長のパターンが続き、一定の技術進歩も生じることを仮定すれば、天然資源の問題は中国の経済成長の大きな足かせにはならないだろう、と結論付けている。

 モデルを本格的に検討するのは手に余るので、この話題はとりあえずこの辺で。ちゃんとしたペーパーはそのうち共同報告者のLAWRENCE H. GOULDER氏のウェブサイトで公開されるんじゃないでしょうか。
http://www.stanford.edu/~goulder/

 さて、青木昌彦氏もディスカッサントで参加した「財政連邦制」をめぐるセッションでは、中国の地方財政について、地域間の財政力格差が拡大傾向にあることに警鐘を鳴らす報告が行われたが、それ自体は僕のように一応その分野をかじっているものにとっては特に目新しい話ではなかった。それに対して非常に冴えていたのがその報告に対するバリー・ワインガスト氏(新制度学派的な政治経済研究の第一人者の一人で「市場保全型連邦主義」の概念の提唱者)のコメントだった(以下、貧弱な英語聞き取り能力とパワーポイントのメモに頼ったまとめなので、発言の内容を正確に反映していない可能性があることをあらかじめご了承ください)。

 ワインガストは、まず財政連邦制に関する議論を、地域間における水平的な財政力の不平等性の問題に注目する「第一世代」の議論と、それぞれのレベルの地方政府がハードな予算制約に面しており、放漫財政を行わないなどの規律付けを行うインセンティヴが働いているかどうかに注目する(彼自身のものも含む)「第二世代」の議論とに分類する。そして、地域間の財政力格差を問題にし、中央からの財政補助の不十分さを訴える件の報告が典型的な「第一世代」の視点によるものだ、とし、この議論では貧しい地域に対してどのような手段でどの程度財政的な移転を行うのかという規範的な議論ができない、と批判的に結論ずけた。つまり、地方政府が正しく補助金を使うかどうかという「インセンティヴ」の問題が解決されないままにジャブジャブと中央政府からの資金移転を行っても、結局効率性の低下と財政赤字の拡大を招くだけだよ、という批判である。

 ここまで聞いていて、僕はワインガストの行っている「第一世代」の地方財政論への批判が、どこかで見たことがあるようなものだということに気がついた。そう、「中央からの財政援助」を「先進国からの開発援助」に読み替えれば、このブログでも取り上げてきたイースタリーによるサックスらに対する批判のロジックにそっくりである。これに関しては、山形浩生氏がエコノミストの論説で取り上げられていたエリトリアの例を引きながらイースタリーの「インセンティヴ」を重視する援助論への批判を行っている(http://cruel.org/economist/eritrea.html)。途上国の側のインセンティヴを無視する形でいくら援助をつぎ込んでも結局は無駄に終わるだけだ、というイースタリーの議論は確かにもっともだが、実際は、山形さんが指摘しているように世界の最貧国の多くにとっては「インセンティヴ」という概念自身がほぼ実現不可能なきれいごとでしかない場合が多い。

 中国の地方財政についてもおそらく同じことが言える。確かにただ補助金を与えるだけではなくそれをどう使うかというインセンティヴが重要だ、というワインガストの指摘はもっともだ。ただ、例えば彼の言うような地方政府同士の競争的な関係によって財政の自律性が守られる、なんていうストーリーが働くのは一部の地域の話であって、山間部や砂漠地帯などの自然条件に恵まれず自律的な工業化など望むべくもない地域にとってはおそらく夢のような話でしかない。というわけで議論の整理の仕方は非常にクリアカットだったものの、上述のように「インセンティヴが働くための条件」に大きな格差があるからこそ「第一世代」の議論があえて出されている面があるわけで、その辺を十分考慮せず「その議論は古いよ」と切り捨てるワインガストの姿勢には正直納得いかない思いが残った(だったらその場で反論しろよという話だが、なにしろインド人が次々に手を上げるので圧倒されてしまって・・)。

 もちろん、途上国への開発援助と国内における貧困地域への「援助」=補助金の問題とでは同一にくくれない面も多い。たぶん問題の深刻性としては後者の方がずっと軽い。例えば国内の場合、貧しい地域から豊かな地域への労働力移動がはるかに容易であり、これが結果として格差の緩和に大きな役割を果たす可能性が高い。また貧しい地域で生産された財が豊かな地域の保護主義の壁に阻まれる可能性も少ない(ただし一昔前の中国ではこれが結構深刻だったのだが)。また国内の中央政府は海外援助のように豊かな地域の良心に訴える大々的なキャンペーンを行わなくても安定した額の援助を持続的に行うことが可能である(はずだ)。

 ・・いずれにせよ、国内・国際間の資金援助とインセンティヴの問題についてはまだまだ議論すべき点が多そうだ。まだ十分に考えを整理できていないが、引き続き考えていきたい。