梶ピエールのブログ

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福沢諭吉と丸山真男と電車男

 今月の6日の話だが、Alan MacFarlane氏による「福沢諭吉と丸山真男:日本の近代化に関する二つのビジョン」という題の講演会に出席してきた。これは僕が籍を置いているCenter of Chinese Studyと同格のCenter forJapanese Studiesが毎年行っているMaruyama Lecturesのシリーズの一つとして行われたものだ。このMaruyama Lectures は1999年から始まったもので、第一回目のレクチャーを行ったのが大江健三郎、翌年がテツオ・ナジタ、というわけで基本的にリベラルというかやや左よりの知識人を呼んで日本についての話を聞く、という趣旨の催しらしい。


 講演を聞いたのはだいぶ前なのに、今頃これを取り上げたのは、お恥ずかしい話だが話を聞いてからしばらくの間、講演者が「かの」『イギリス個人主義の起源』ISBN:4931062148・マクファーレンだということに全く気がつかなかったからである。これも恥をさらすと彼が最近イギリスと日本の比較研究を主要な研究テーマにしている(例えば『イギリスと日本―マルサスの罠から近代への跳躍』ISBN:4788507676)というのを全然フォローしていなかったということもあるし、また講演内容が彼本来のフィールドである歴史人類学的なアプローチというより思想史的な話に終始したということもあるし、そもそもあんなに若い(といっても60台半ば)人だとは思っていなかったし、とか言い訳してみるが、そもsも事前に講演者のプロフィールを調べとかない私が悪いんです、すみません。

 講演自体はイギリス英語で聞き取りやすかったにもかかわらず、きちんとメモを取っていないのであまりきちんとしたまとめはできないが、どちらかというとアメリカ人に日本の近代化の特徴を解説する、といった啓蒙的なスタンスで、日本人にとってはややもの足りない感じが残った(もちろん、面白い部分を聞き落としているという可能性はあるが)。
 マクファーレンの日本に対するスタンスは、独自な文化的背景を持ちながら近代化に成功し、個人主義的な資本主義のalternetiveとして基本的に肯定的に捉えるというもので、その意味ではこれまでレクチャーを行ってきた大江やナジタなどにみられる日本の近代に対するペシミスティックな見方とは一線を画しているように思う。また、日本に対する関心は非常に多岐にわたっており、質疑応答の中で最近の日本社会に見られる興味深い現象として「電車男」の流行をあげていた(さすがに2ちゃんねるはフォローしていないと思うが・・)。まあ、それくらい好奇心が旺盛でないとあんな分厚い本を何冊もかけないわな。

 未読だが、『イギリスと日本―マルサスの罠から近代への跳躍』のアマゾン書評などを読む限りでは、マクファーレンの日本の近代化に関する研究はむしろ川勝平太氏など日本の保守派が注目してもおかしくないような内容が含まれているようにに思えるが、現実には今回のレクチャーのようにアメリカにおいても日本においてもむしろリベラル・左翼色が強いサークルに受容されているようで、この辺の事情は僕にはよくわからない。そもそも、UCBというリベラルの要塞のようなところに来ていながら、というかそれゆえにか、僕にはアメリカのリベラル派知識人の政治的スタンス、特に日本や中国に対するそれがまだよくつかめていない。どうも一部のブログで盛んに言われているようなイメージ(リベラル=反日=親中)は実態を反映していないような気がするのだが、どうしてそう思うのかといわれると自信がない。この辺の考察は今後の宿題としたい。

 マクファーレン氏らに代表されるオックスブリッジの経済史家と、杉原薫氏らの研究グループ、および彼らと関係の深い「カリフォルニア学派」など、東アジアの自立的経済発展を強調する学派との接点など、こちらの経済史研究をめぐる状況も一度フォローしてみたい気はするのだが、とりあえず今は英語と経済学の授業で手一杯なので、これも(いつ手をつけるかわからない)宿題ということにしておこう・・