梶ピエールのブログ

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少数民族の村より

前回と今回のエントリは成都のホテルで書いてアップしているのだが、その間には四川省のXJ県というチベット族が人口の70%を占める山奥のの村(町)を訪問していた。

 この村は、成都からの距離は280キロほどなのだが、途中の道が悪いため車で6,7時間ほどかかる、というふれこみだったのだが実際は行き14時間強、帰りが10時間ほどかかってしまい、着いたときには腰と背中が痛くて散々だった。途中まで九塞溝という世界遺産になっており中国でも1,2を争う観光名所へ行く道と重なっているため、もともと狭くて舗装のされていない道ではとてもさばききれないほどの交通量が通るようになってしまっているのだ。このため、最も渋滞が激しいところでは時間を区切って一方通行にしたりしてなんとか交通整理を行おうとしているものの、事故が起こったり雨のため土砂崩れがおきたりするとまったくにっちもさっちも行かなくなり2,3時間は平気で交通の流れが止まってしまうというわけである。

 四川省というのは、中心の大きな盆地に成都などの都市が集中しており、その周りを四国や信州の山のスケールを20倍にしたくらいの緑深い山が取り囲んでいるところだ。四川の農村というのは基本的にその山あいを切り開いて住んでいるようなところが多い。今回訪問したところもそういう典型的なところで、標高約2000メートルのところに村の中心はあるのだが、ふと見上げると切り立ったがけにぽつぽつと畑や一軒家が建ち、見下ろすと激しく流れる川をダムでせき止めている、そんなところである。
 このくらい交通が不便で山間にあり、しかも少数民族地域となると、さぞかし貧困にあえいでいる悲惨なところかと思われるだろうが、現実はちょっと違う。すくなくとも今回訪れた県城と呼ばれる村の行政と商業の中心地になっている「まち」は、以前に訪れたことのある四川省の別の村の県城よりもかなりこぎれいに整備されており、道行く人々を見てもそれほど貧困の影を感じさせない。経済発展のための条件が整っているとは思えないのに、なぜ貧しさを感じさせないのか?それはこの村に多額の補助金がつぎ込まれているからに他ならない。この県の自主財源は財政支出全体ののおよそ5%弱でしかない。後はすべて中央あるいは省政府からの補助金である。3割自治どころか5厘自治にもならないのだ。
 もちろん中国のすべての農村がこのように手厚い補助金を受け取っているわけではない。この県はチベット族人口が70%ということからわかるように、少数民族自治州(自治州は県の上位で省の下位の行政単位)に属しているが、この自治州全体がほぼ同じような財政状況に置かれている。そして少数民族地域ではない他の四川の農村は、所得水準がこれらの村と同程度かあるいはより貧しい場合でも、ほとんど補助金を受け取れない場合も少なくない。
 また全ての少数民族地域がこの村と同じような手厚い保護を受けているかというとそうでもなくて、チベット族居住区とそれ以外の少数民族居住区では明らかな差があったりする。さらに言えば、同じチベット族の居住区の中でも温度差はかなりあるようで、僕は8年ほど前にチベット自治区も訪れたことがあるのだが、そこで感じた雰囲気は今回のXJ県とは全く違っていた。一言でいうとXJ県は「漢族化」が著しいのだ。まあおなじみのバター茶(塩辛くて飲めたものではない)が出てくるなど、食生活などはそれほど変わらないのかもしれないのだが、もっとも顕著な違いはやはり宗教色の有無である。チベット自治区、得にラサはちょっと訪れただけの旅行者にとっても濃厚な宗教色を感じる街であるが、XJ県ではそれがまるでない。そもそも県城には寺がほとんどないし、マニ車などの仏具も売られていない。おそらく村中や探ししてもダライラマの写真など1枚も見つからないだろう(ラサではあちこちで見つかるのだが)。果たしてどのくらい前からこのような「漢族化」が進んできたのかはわからないが。

 まあこの辺の事情を本気で追求しようと思えばおそらく軽く本が一冊書けてしまうくらいなのだが、中国の少数民族地域の実態については、あまり知られていないと思うのでとりあえずその一端を紹介してみた。こんなところでいったいどんな研究をしようとしているのか、それは成果が出てからのお楽しみということで。
 
 それにしても、下の階ののカラオケはうるさいしテレビは対ファシスト戦勝利記念物ばっかりやっているし、ブツブツブツ…