梶ピエールのブログ

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「円高シンドローム」と人民元問題(黒田東彦著『通貨の興亡』より)

以前、ちょっと時間ができたら東アジア共同体の問題について触れると約束したので、まず比較的自分のフィールドに近いところから。

 2月16日のbewaadさんのコメントを見て興味を引かれ、黒田東彦『通貨の興亡』を購入してざっと読んでみて抱いた疑問。
 黒田氏がアジア共通通貨の導入を提唱する背景にはマッキノン=大野の「円高シンドローム」命題へのコミットメントがあるのではないか、というのがbewaadさんの指摘である。

 だとすればちょっと解せないのが人民元切り上げ問題で黒田氏が取ったスタンスとの整合性である。というのも、黒田は人民元問題ではむしろマッキノンの見解とは大きく対立する主張を行っていたからだ(『元切り上げ』日経BP社および関志雄ほか編『人民元切り上げ論争』東洋経済新報社)。

 マッキノンは上記の本の中で、現在の状況のまま人民元の変動幅を拡大したとしてもいずれ円高シンドロームと同じような状況に中国が見舞われるとして、むしろ事実上固定相場制を維持したまま対外的資本取引にたいする管理を強め、現行の為替レートに対する「信認」を強めるべきだとの主張を行っている(ただし現行の人民元相場自体は過小評価の状態にある、と判断しているようである。これに対して白井早百合のように、そもそも人民元は過小評価されていない、と判断する論者もいる。この辺の立場の相違の整理については拙稿を参照)。
 それに対して黒田氏は河合正弘氏らと共に現行の人民元は大幅に過小評価されているとし、速やかな調整を強固に主張する立場を一貫してとっていた。ただし調整の方法自体は急激な相場切り上げや変動相場制の導入ではなくワイダーーバンドやクローリングペッグなど変動幅の緩やかな拡大による対処を主張している。

 さて、これを見て感じるのはマッキノンは基本的に円(日本)と元(中国)が抱える問題に対して同じスタンスで話をしているのに、黒田氏が日本に対しては「円高シンドローム」のことを心配していても、中国に対しては「元高シンドローム」に陥るリスクのことはほとんど考慮していないようだ、ということだ。
 このような「非対称性」は、単に黒田氏が自国の通貨について考えるときと他国の通貨について考える時とではスタンスがまるっきり異なるということを意味しているのか?それとも、日本と中国では基本的に状況が違うと考えているのか?
 そのどちらにしても、黒田氏がそのような「非対称」なスタンスをとりながらなお「アジア共通通貨」の導入によって日中両国が現在抱えている国際金融的な問題を解決することができる、と主張するのはあまりにも乱暴で説得力を欠いていると思える。黒田氏のロジックが前者のような自国中心的なものであるとすれば、とても中国側の理解を得ることはできまいし、後者のような状況判断をしているのであれば、そのような状況の異なった両国にたいして「アジア共通通貨」という単一の処方箋を安易に持ち出すべきではないと思う。
 
 ・・というわけでbewaadさんの「円高シンドローム?」というコメントをダシにしていろいろ考えてしまいました。なにかおかしなところがあればご指摘ください。あとはアジア共通通貨構想に対するマッキノン御大自身の見解が知りたいところではある。

 黒田氏の本の人民元関連の記述については他にも突っ込みどころがあるのだが、またあとで補足します。