4月より深圳大学で在外研究中の伊藤亜聖さんによるニコ技深圳観察会参加記。中国経済に少しでも関心がある(ポジティブにであれネガティブにであれ)人は、絶対に読むべきだと思います。
https://aseiito.net/2017/04/09/shenzhen_2017_2/
https://aseiito.net/2017/04/11/shenzhen_2017_3/
https://aseiito.net/2017/04/12/shenzhen_2017_4/
https://aseiito.net/2017/04/12/shenzhen_2017_5/
https://aseiito.net/2017/04/13/shenzhen_2017_6/
https://aseiito.net/2017/04/15/shenzhen_2017_7/
【4月14日追記】当初伊藤さんのブログ記事を紹介するだけのつもりだったのですが、その後、田中信彦さんの以下の記事(これもまさしく「必読」だと思います)を目にし、伊藤さんの紹介している「中国社会の新しい動き」と丁度裏表の関係にあるような気がしたので、追記しておくことにします。
「信用」が中国人を変える スマホ時代の中国版信用情報システムの「凄み」
アリババやテンセントなどのネット決済は、長期的な取引関係による「信用」を築くのが難しい中国社会において、取引プラットフォームを提供する第三者への「信用」を通じてより短期的でカジュアルな形で取引コストを引き下げる役割を果たしてきました。そのことは確かに、上記の伊藤さんのレポートに描かれているような、よりオープンでフリーカルチャー的な、自発的「協働」を通じてイノベイティヴなものを生み出す動きを促進した、といえるでしょう。このような動きが広がっていくことは、政府の経済活動への介入を市民が自主的に跳ね返していくだけの力を社会が蓄える方向に働いていくと思います。一方、このようなネット決済の急速な信用は、ゴマ信用のような巨大企業による個人情報の集中管理を通じた、パノプティコン的な「牧人的権力」への市民の自発的隷属、というおよそ市民社会の自律性とは正反対にあるような動きを生んでいるのも確かです。どちらの動きが本質なのか、といった詮索はともかく、こういう相反する動きがものすごい勢いで生じているのが現在の中国社会なのだ、ということは強調しておきたいと思います。
こういうことがなぜ中国社会で、世界の先端をいく形で起きているのか。それは田中さんが指摘しているように、中国社会が共産党の一党支配下にあり、そもそもdang案制度などを通じて個人情報を管理されていることに慣れているから、ということもあるかもしれません。だが、恐らくそれだけではないでしょう。私は、この一連の現象はローレンス・レッシグが『CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー』などの著作でつとに指摘していた、「法」「規範」「市場」「アーキテクチャ」という社会規制の四つの形態に関する議論から考えるのが一番しっくりくるような気がしています。中国社会が伝統的に「法」や「規範」によるコントロールがなかなか浸透しない社会であった、ということはすでに様々な人が語っている通りです。そしてそれは恐らく現在でもあまり変わっていません。つまり長い間権力者が苦労して法律を制定し守らせようとしても、あるいは儒学者たちが口を酸っぱくして「規範」の重要性を説いても、民間における「信用」に基づいた安定した取引はなかなか根付かなかった。それが、アリババやテンセントが提供するインターネットのアーキテクチャによって(さらに言うならファーウェイの提供する通信インフラの整備によって)あっという間に根付いてしまった。アリペイやウィチャットペイは取引相手に対する信用というより、取引のプラットフォームを提供する企業への信頼さえあれば取引が成り立つ仕組みだからです。だからこそ街角のラーメン屋に至るまでみんなもろ手を挙げてネット決済を導入し、そのありがたみを享受している一方、アーキテクチャーによって人々がそれまでは享受できていた「自由」を奪われるリスクについてはあまりに無防備なままでいる、というのが現在の状況なのではないでしょうか。中国社会において人々は、権力が押しつけてくるうっとおしい「法」について、その網目をかいくぐって「自由」にふるまう術には長けていますが、「アーキテクチャ」による規制はなにしろ現れてからまだ間がありませんし、それに対して抗う方法は極めてぜい弱だから―「法」への信頼性が低い社会ではレッシグのような「法」によるアーキテクチャーの規制という手段を取れない―です。もちろん、この間公権力の側もアーキテクチャによる規制の技法に次第に成熟し、それを巧みに利用するようになった、という事情もあるでしょう。
もちろん、ネット決済の普及が一方で上記のように自発的な「協働」を生む動きを促進していることを考えれば、田中さんも指摘するように「こうした安全・安心かつ効率的な社会がどのような副産物を生むのか、それはまだ誰にもわからない」と言わざるを得ません。また同時に、「このような社会は、おそらく中国だけではなく、世界の全ての国が──望むかどうかは別として──向かわざるを得ない方向だと思う」というのも事実でしょう。世界レベルでみれば、「法」による規制が貫徹している社会の方が恐らくレアケースでしょうし、そうではない、「法」による規制が貫徹していない社会では、中国で広がっているようなアーキテクチャーによる規制を通じた社会安定化のシステムは、中国におけるのと同じように、大きな抵抗なく受け入れられるのではないでしょうか。そしてそれは、「法」による規制が貫徹していると信じられていた社会の価値観にも徐々に影響を及ぼしていくような気がします。
というわけで、現状ではあまり展望めいたものが出せるわけではありませんが、今後もこういった中国社会の「新しい動き」を注目していくと共に、中国研究者にとどまらない、より多くの分野の専門家にこの問題について関心を持ってもらいたい、と個人的には思っています。