梶ピエールのブログ

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いただきもの


タイム・スリップの断崖で

タイム・スリップの断崖で

 著者よりご恵投いただきました。
 私と著者であるスガ氏とのつながりを意外に感じる方もいらっしゃるかもしれません。昨年、スガ氏がtwitterで拙著『日本と中国、「脱近代」の誘惑 ――アジア的なものを再考する (homo viator)』に好意的に言及していただいていることを知り、昨年末に出た石井知章編『現代中国のリベラリズム思潮 〔1920年代から2015年まで〕』をお送りしたところ、丁寧なお礼の手紙をいただいた、というのがこれまでの経緯です。
 本書はスガ氏が10年ほど前から文芸誌に連載していた時評がベースになっているとのことですが、その中に中国の台頭に関してかなりの記述が割かれており、なるほど、と腑に落ちた次第です。

 本書の記述について、私は必ずしも全面的に賛同するわけではありません。それでも、以下のような記述は、著者の日本を取り巻く現状認識に関する直感的な鋭さを示すものだ、と思います。少なくともこの認識を出発点にしない限り何も始まらないだろう、とかねてより私も考えてきたからです。

 AIIBの設立は、アメリカのヘゲモニーを確実に侵食していくだろうが、それと並行して、ヨーロッパ的普遍主義に代わるパラダイムを「帝国」中国に見出そうとする知的傾向も加速するだろう。しかしそれが、かつて毛沢東主義に希望を見出したヨーロッパ知識人のオリエンタリズムや、戦前日本の「大アジア主義」のヴァリエーションでないという保証は、どこにもない。
(中略)ISが、とにもかくにも欧米の普遍主義によって抑え込まれるほかないのと違って、中国はグローバル資本主義を担うことで、「自由・平等・友愛」というパラダイムを侵食していくだろうからである。

問題を言い換えてみよう。なぜ、60年安保の時は、まだしも「反安保」を言いえたのに、現在は言いえないのか。
 簡単である。かつてはソ連や中国という「社会主義国家」が「平和勢力」として存在した。安保を破棄しても(いや、破棄すればなおさら)、平和は実現されることになる。1960年において、あるいは1968年においてさえ、ソ連や中国は「社会主義」あるいは「平和勢力」というファンタスムの参照先だと信じられていた。
 (中略)しかし、おおむね冷戦体制の崩壊と中国の資本主義化以降と言って良いだろうが、もはやファンタスムは不可能となった。『安倍を倒せ』、『民主主義を守れ』と言っても、それは日米同盟の枠内の出来事でしかありえないのであり、つまりは米国が「平和勢力」なのだ。