梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

主催者側発表−香港の民主化デモのケース−

 ベイエリアに住んでいてよいことは、安くてそこそこの中華料理がたくさん食べられることと、各種華字新聞が実に簡単に手に入ることである。バークレーダウンタウンに中国関係図書の専門の書店があって、そこに行けば『明報』『世界日報(台湾の聨合報の国際版らしい)』など華字新聞が5,6種、いずれも50セントで売っているし(『大紀元』はタダだが)し、住んでいるマンションから歩いて5分くらいの郵便局の前のスタンドでもその中の2紙が手に入る。
僕のようなヘタレヲチャーにとっては、なにかチェックしたい動きがあるとき、華字紙をまとめて手元においてあのセンセーショナルな見出しを見比べることができるのは大変有難い。インターネットの記事をいちいちチェックするのにくらべて半分の努力で同じ情報量が頭に入るような気がするからだ。問題は台湾における緑(民進党)よりの情報が全く手に入らないことくらいだろうか。

 台湾の地方選挙については日本の各紙も報じたようで、早速報道スタンスを比較している人がいて、参考になる(ちょっと朝日に厳しすぎるような気もするが)。それにしても、あの国民党が「クリーンイメージ」で選挙に勝利するようになるとは、今世紀になるまで誰が予想しただろうか。この辺の動きは、どちらも党首がパフォーマンス上手だ、ということもあって、個人的にはどうしても小泉自民党の大勝利とイメージがかぶってしまう。

 さて、日本ではなぜかほとんど報道されていないが、台湾の地方選挙と並んでこのところ香港・台湾系のメディアをにぎあわせていたのが、12月4日に行われた香港における選挙制度民主化を求めるデモの動向である。あわててここ数日香港の新聞を少しチェックしたり、香港からの訪問学者が中国人留学生向けに行った講演を聞いたりして自分なりに判断したところでは、御家人さんによる解説がわかりやすくて現状をかなりよく伝えているのではないかと思う(中国政府がこの件でそれほど必死になっているかどうかはちょっとわからないが)。ただ、新聞報道などを見ても、民主派による選挙制度改革以外の具体的な主張、というのがどうもわかりにくい。前述の香港の学者も話していたが、「無能だった前任者とは異なり、現在の行政長官の曽蔭権の行政手腕に特に文句はないのだが、自分たちの手で代表を選べないことにはやはり納得がいかない」という意見が最大公約数であるようだ。
 これ以上の分析ができるほど香港の政治状況には詳しくないのでとりあえずこのへんにして、ちょっと気になったのがこのデモへの参加人数に関する報道である。とりあえず、5日付の『明報』の報道では次のようになっている。

 民間人権団体の発表: 25万人
 香港大学の葉氏による推計: 7.2万人
 警察発表: 6.3万人
 民間会社が衛星写真を分析して行った推計: 9.2万人

 この「民間人権団体の発表」というのがいわゆる「主催者側発表」というやつに当たるのだろうが、それにしても警察側発表の約4倍というのはちと多すぎやしないか?

 この数字を見て僕は、かつて呉智英氏が、80年代盛んに行われていた反核市民運動や米空母の寄港に反対する市民集会などへの参加者についての「主催者側発表」による数字が、「警察側発表」の数字に比べてかなり水増しされているのではないか、という問題について「権力の不実を糾弾するものが自らの不実に対してチェックが甘くなる」ことの一つの事例として、かなり真面目に批判していたのを思い出した(確か『バカにつける薬』だったかと思う)。その後の日本の「主催者側発表」をめぐる状況についてはよく知らないけど、少しはましになったのではないだろうか。しかし、この数字を見る限り、同じような問題が、香港の民主運動の中にも、かなりナイーブな形で存在しているといえそうだ。
 それに対して、今回台湾の地方選挙では、「これまでずっと反体制だった勢力(=民進党)が、結局自らの腐敗に対してはチェックが甘かった」ことへの有権者の批判が今回の結果主要な要因として挙げられている。一方日本では、「反体制を標榜するものの不実や腐敗」への批判や反感があまりに当たり前になりすぎて、今度は「いったい誰がどうやって体制側の不実や腐敗をチェックするのか」という古くからの問題が再び浮上してきそうな状態にある。
 このような「反体制を標榜する者の不実や腐敗」への敏感さの違いが、そのままこれらの地域の民主主義の成熟度の違いをあらわしているのだ、というようなコロニアルな裁断をすることは避けたい。しかし、このように考えてみると、この三つの地域における最近の政治的な動きは、これらの地域が、個別の状況に大きな差があるとはいえ、東アジアにおける「民主」の実現にまつわる問題を、かなり根本のところで共有していることを示しているという気がしないでもない。じゃあその「根本的な問題」って何なのよ、と正面切って尋ねられると困ってしまうわけだが。・・というわけでここから先はまたしばらく情勢を見ながら考えていくことにしよう。