日本のオピニオンを英語で海外に紹介するサイトDiscuss Japanに、 "Emphasizing the Importance of Evidence-based Reporting on China"と題したエッセイを寄稿しました。
以下は、記事の元になった日本語の文章です。
このところ、日本でも報道や政策立案における「エビデンス」の重要性への認識が高まっている。とくに筆者の専門である中国のように、不透明性が極めて高い対象について何らかの判断を行う場合、統計資料などのエビデンスによる裏付け、ならびにその検証は極めて重要となる。
その一方で、政治や大企業がエビデンスや客観性を振りかざし、当事者の小さな声を無視した結果、社会の分断を生んでいるではないか、と警鐘を鳴らす声もある。このような批判にはもっともな面もあるが、だからといって個人のナラティブを過度に重要視する姿勢にも賛成しがたい。むしろ、政府などが掲げる「エビデンス」がどれだけ第三者からの「反証可能性を備えるもの」であるかに注目すべきだろう。
たとえば、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻以降、次の大きな紛争の可能性がある地域として台湾への注目が高まった。その際日本のメディア各社は「台湾海峡を巡る危機が2027年までに顕在化する」という、当時の米太平洋軍司令官であったデビッドソン海軍大将が21年3月に米上院で行った発言に盛んに言及した。しかしこれらの報道が反証可能性を備えたものだったとはいいがたい。この「2027年」という数字には習近平政権の3期目の終わりを示す以外に明確な根拠は存在せず、そもそも反証するためのエビデンスを欠いていたからだ。
東洋経済コラムニストの西村豪太氏は、『東洋経済オンライン』の記事で、このような「台湾有事27年説」をめぐる報道の過熱を一種の「バブル」であると評したうえで、この説に無理があることは安全保障専門家の間で認識されていたが、防衛力の拡充という目的を達成するため、「不都合な真実としてふたをされていた」のだ、と指摘している 。
一方で、2023年11月5日に放送されたNHKスペシャル、「調査報道・新世紀 File1 中国“経済失速”の真実」 は有意義な試みだった。この番組は、各地方の統計資料などからデータを収集し分析することによって、ベールに包まれた中国、とくに地方ごとの経済活動を明らかにし、将来予測につなげようとするものだ。研究者がよく利用するデータベースにおいて公開されているデータの種類を年ごとのグラフにし、近年その数が顕著に減少していることを示すなど、シンプルだが労力のかかる検証作業がその楽屋裏まで含めて紹介されていた。
ただ、番組には若干勇み足と思えるところもあった。米シカゴ大学のマルティネス教授による、衛星画像からの夜間光データを用いたGDP(国内総生産)統計の検証に関する研究 を紹介したくだりだ。これは「中国のGDP成長率は『ごまかし』の利かない夜間光を基にした推計値に比べると3割以上過大評価されている」という氏の主張を紹介し、データの公開に消極的になった中国のGDP統計の水増しを示唆するものだった。
確かに、夜間光の強度を経済活動の代替指標として用いる研究は近年盛んに行われている。だが、その扱いには注意も必要だ。一国の経済活動は夜間光に反映されるものだけではないし、日照時間、人口密度などによりGDPとの関係も異なってくるため、夜間光をそのままGDPの代替変数として用いることはできないからだ。このため、夜間光を用いてGDPを推計する際には、まず両者の間にどのような「安定した関係」があるかを特定し、それを前提として、前者のデータから「よりごまかしのない」GDPの値を求める必要がある。問題は、どのようなデータを用いて両者の「安定した関係」を推計すればよいのか、ということだ。
もし、公式GDPの値が一貫して水増しされているのなら、そもそも両者の間に「安定した関係」が存在しないからだ。そこで、マルティネス氏は以下のような方法をとっている。まず、各国の夜間光の増減率とGDP成長率との関係を分析し、権威主義国家と民主主義国家を比べると、前者のほうが、夜間光が1%増加したときに実質GDP成長率が何%上昇するかを示す値(弾性値)が大きいことを示した。この結果を用いて、中国などの権威主義国家が、民主主義国家と同じ状況にあれば、上記の弾性値ももっと低いはずだ、という前提でGDPの推計を行ったのだ。
ただ、これにはいくつかの疑問がある。権威主義国家は民主主義国に比べて統計制度が十分に整備されておらず、GDPのカバレッジも小さい。だから、夜間光との関係も経済成長によって変化する可能性がある。つまり、マルティネス氏の研究は、前者の公式GDP値が共通のバイアスを持つことは示しているが、その「バイアス」がどのようなものかは必ずしも明らかにしていない。
しかし番組では、中国の地方融資平台の過大な債務問題などの報道に続けて彼の研究を紹介することで、経済不振を隠そうとする中国政府の姿勢がその「バイアス」の正体である、と印象づけようとしているように感じた。
以上の批判は、やや専門的な観点からのものに過ぎると感じられるかもしれない。しかし、エビデンスに基づく報道が日本にも根付くためには、それに対する専門家による検証が不可欠である。NHKのウェブサイトでは独自取材で得た1次資料のソースや論文へのリンクが公開されている。このようにデータを公開して「再現性」を確保するのはエビデンスに基づく分析の基本であり、だからこそ筆者もこのような批判を行うことができた。筆者はこのNHKの姿勢を高く評価している。
逆に言えば、上述のような台湾有事に関する「27年危機説」に代表されるような、「再現性」やそれに基づく「反証可能性」を欠いた報道に対しては、常にそれを疑う姿勢を持ち続けたい。不確実性がますます増大するこの時代に、私たちはむしろエビデンスを武器にして、情報の氾濫から自らを守っていく必要があるだろう。