- 作者: 清水美和
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/02
- メディア: 新書
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清水美和さんはいわゆるチャイナ・ウォッチャーといわれる人の中でも研究者から一般の読者まで幅広い人気を得ている点では当代随一、と言っていい書き手だろう。その人気の秘訣はたぶん、収集した膨大な情報を一定の見解に沿って整理しなおし、あいまいな表現で濁さずにその見解を明確に述べている点、特に、人物に対する評価が比較的はっきりしている点にあるのだと思う。専門家の議論は、扱う情報量が増えれば増えるほど結論があいまいになり、一般の読者にはとっつきにくい印象を与えがちだ。その点で清水さんは、確かに読み手にとってフレンドリーな書き手だといっていいだろう。ただその分時々「飛ばしすぎ」かな、と思える時もあるが、この本の「あとがき」を読めば、清水さんはかなり意識的にこういう書き方をしていることがわかる。そういった物書きとして「リスクをとる」姿勢は重要なことだが、その姿勢を生かすためにはもう一つ大事なことがある。
例えば清水さんは、昨年の共産党大会の際に話題になった党内人事の問題について、胡錦涛氏は、党内の序列では上になった「太子党」の習近平氏ではなく、自分と同じ「共青団」出身で考え方も近いとされる李克強氏を自らの後継者に据える道をまだあきらめていないはずだ、という考えを披露している。
こうして見ると、胡は習ら太子党に簡単に最高権力を譲るとは思えない。習に党内序列の上位を譲ったのは、五年後に向けた「緩兵の計」(兵を緩めて油断を誘う計略)にほかならないのではないだろうか(228ページ)
しかし、例えばやはり著名なチャイナ・ウォッチャーの矢吹晋さんは、むしろ「次期総書記は習さんで決まり」として、上記の清水説とは真っ向から対立する見解を述べている。
http://www.21ccs.jp/china_watching/DirectorsWatching_YABUKI/Directors_watching_39.html
54歳と習近平と52歳の李克強を「競い合わせる」といった解釈が行われているが、これはおかしい。すでに結論は出ている。習近平が中央書記処を率いる以上、李克強に残されたポストは国務院常務副総理しかない。「党務の習近平、政務の李克強」という役割分担が5年後に交代するとは、想定しにくい。
こういった専門家同士が将来の予測について明らかに食い違う見解を述べているとき、一般の読者にはなかなか判断がつかない。だが、むしろ大切なのは、ある程度事態がはっきりしてから、どちらの読みがより正しかったのか事後的なチェックを行うことであり、そのようないわば「筋金入りの素人」からの事後的なツッコミこそが玄人の仕事のレベルを底上げするのだと思う。幸いネットではそのための作業が比較的手軽にできる。というわけで僕自身、政治とか共産党の内幕については何も分からないにもかかわらず、こういう記事を残しておこうとしているわけだ。
ただ問題は、対象が中国共産党となると、事後的な判断さえも難しい場合が多いことだ。例えば上の清水さんと矢吹さんの見解の相違について言えば、もし最終的に「李さん」が書記になるようなことがあれば、どちらの見解が間違っていたかははっきりする。しかし、少し考えれば分かることだが、「習さん」が書記になった場合でも、清水説が直ちに誤りだった、ということにはならない。こうしてみると一見大胆な仮説を述べているようで、案外周到な逃げ道を用意しているのはむしろ清水さんのほうだ、ということが言えるかもしれない。
以上、余計なおしゃべりに過ぎなかったかもしれないが、でもこんな風にツッコミを入れながら読むと、一見とっつきにくいチャイナ・ウォッチャー同士の議論もかなり楽しめるのではないだろうか。