梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

もしも私がかの国の官僚だったなら。

 今や、誰もが中国について語り始めた、というべきだろうか。内田樹先生まで大学院のゼミでチャイナスタディーズを取り上げる予定だというし。ただ、仕方のないこととはいえ今のところそのバランスは政治・外交的なものに偏りすぎているという感は否めない。個人的には、もう少し中国のマクロ経済に関する経済学を踏まえた議論がネット上でも盛んになることを望みたい。というのも経済学的思考というのは中国問題のような考え出すとヒートしがちな頭を冷やすためには格好の手段だと思うからだ。


 というわけで、bewaadさんがこのようなエントリを立ててくれたことは大変心強い。高齢化に関する実証研究論文の紹介などもあって興味深く読んだのだが、ちょっと気になったのは中国の国際収支と資本ストックについて関志雄氏の論考を援用しつつ次のようなロジックが展開されているところである。すなわち、中国では基本的に潜在的な成長率が高い上に国内の資本ストックが不足しており、そのため当然ながら資本の期待収益率が高く、海外からの資本流入がとまらない構図になっているにもかかわらず、為替レートを低く抑えるためにその資金が外貨準備に振りむけられ、国内の資本ストック形成につながっていかない。さらには不胎化政策およびそれに伴う金利の上昇によって民間の投資も圧迫されている可能性がある、といったところだろうか。

 もちろん、特に内陸部ではインフラを中心に深刻な資本ストックの不足が生じているのは確かだ。ただ、こういった地域への資本の投入が、為替レートの過小評価によって「抑制されている」とは考えにくい。というのもこういった地域に対して行われている資本投下はそのほとんどが政府資金によるものであり、ストック形成(特に民間主導による)が十分に進まない原因は、第一にこういった地域への投資効率性が非常に低いこと、第二に公共事業を行うための中央・地方政府の財源が圧倒的に不足していること、にあるからだ。一方2001年あたりから急激に増加している海外からの資金流入は、むしろ資本市場を中心に将来の元の切り上げを見込んで流入しているものと思われ、内陸部における資本ストックの形成には結びついてこないのではないかと思われる。また、外貨の流入に対して行われている不胎化政策も十分ではなく、それが原因で国内金利の上昇を招いているとは考えにくい(そもそも中国ではほとんどが規制金利である)。
 以上のような点から、僕自身は、人民元がいくらか過小評価されているのは事実にしても、その切り上げが、国内における効率的なストック形成につながるかどうかは疑問だ、と考えている。

 まあこういう点はどちらかといえば瑣末なもので、「現在の所得の伸びが続かなければ社会不安を招く可能性がある」および「資本蓄積の遅れた内陸部が経済発展の足かせになっている」という点についてはbewaadさんに完全に同意する。そこでbewaadさんは、

経済のみを考えるのであれば、戦前の日本において石橋湛山が提唱した処方箋が、今の中国にとってはベストであるように思います。
内蒙古ウイグルチベットといった「植民地」を捨て(つまりは、明代以前のもともとの漢民族の居住地に戻ることになります。内蒙古を手放せばロシアが影響力を伸ばして北京は危なくなるでしょうから、上海にでも遷都しますか(笑))、軽軍備主義をとり、植民地への投資や軍事費を国内ストック形成に充てつつ、親米(・親日)路線で経済開放をもっと進めていくというものです。

 という処方箋を提案されているわけだが。ただこれはbewaadさんも認めるように政治的な要因によりあまりにも現実的ではない。そこでその代替案として、もし僕がかの国の官僚であれば一度試みたいとひそかに考えているのが、「一国内複数通貨制度」の採用である(以下の考察には政治的な意図や民族問題などの微妙な問題点を考慮の外に置いた純粋に経済学的な思考実験ですので、あらかじめご了承ください)。

 中国におけるマクロコントロールの難しさは、端的にいって沿海部は生産性が高く資金(国内貯金・海外からの流入)が豊かだが経済が加熱気味、一方内陸部は生産性が低く資金が不足しており、経済はデフレ気味、という非対称な状態が恒常的に続いているところにある。加えて80年代以降財政(金融も)の分権化を行ってきたため、地方政府がある程度勝手な経済政策を実施するのをなかなか統制できないことがそれに輪をかけている。
 このため、中央政府は、地方が自主財源を拡大し、独自の財政運営を行うことを事実上認めると内陸部の資金不足が顕在化し、それを補うために政策的な信用拡大を容認すると今度はインフレが生じ、あわてて金融を引き締めると外資流入する沿海部と内陸農村との格差は開く一方、という「あちらを立てればこちらが立たず」という経済運営を余儀なくされてきた。

 このようなジレンマを解消する処方箋として、「一国内複数通貨制度」の導入を考えてみよう。すなわち「西部人民元」「中部人民元」「沿海人民元」といったいくつかの地域で流通する通貨を導入して、相互間に為替レートを設定するという、通貨統合とはまったく逆のことをするわけだ。このことによって内陸部に生じやすいデフレショックと沿海部に生じやすいインフレショックがお互いに遮断され、それぞれの地域に適切な金融政策が行われることになるだろう。
 さらに、より重要なのはつぎのようなメカニズムである。当初は沿海人民元に対して1:1の交換レートでスタートする西部人民元も、バラッサ=サミュエルソン理論が示すとおり地域間の生産性格差のを反映してどんどん切り下がっていき、最終的には恐らく1:5程度の交換レートに落ち着くであろう。このことによって単純ワーカーの賃金レベルに無視できない格差が生じ、安価な労働力を求めて沿海部の企業の内陸部への投資が生じるであろう。
 結局のところ、内陸部への投資効率性が低いのはもっぱら政府の公共投資に頼っており民間投資がそれに伴わないからだ。現状では内陸部の生産性の低さをカバーするほど単純ワーカーの賃金での格差は大きくないので、民間企業にとって内陸部への移転はほとんど魅力がないのである。為替レートの変動による地域間の賃金レベル調整が行われるようになって初めて、内陸部への民間企業の進出が本格化し、効率的な投資に支えられた経済発展が実現できる。もちろん内陸部の相対的な賃金水準は低下するが、賃金ではかった生活必需品の価格は変化しないため、農民や単純ワーカーのレベルでは生活水準には変化はないはずだ。むしろ企業の進出により雇用状況が劇的によくなるため、内陸部でも経済的な厚生は向上するはずである。
 上記のような場合でも、もちろん軍事・警察・インフラ・教育などの公共財の供給は中央財政がまかなうので、国家としての統一性は維持される。つまりEUのケースとは全く逆のことをやるわけで、これこそ「壮大な実験」の名に値するのではないだろうか。

 ・・もちろん、この案も現実には実行不可能な思考実験にしか過ぎない*1。しかしこのような思考実験をすることによって、中国のマクロ経済政策運営がどういったジレンマに面しているか、ということ、およびいかに「アジア共通通貨」なるものが非現実なものかということがよく理解できるのではないか、と愚考する次第だが、いかがだろうか。

*1:ただ以上のような想定は歴史的に見ればそれほど非現実的というわけではない。伝統的な中華帝国において、各地に異なる通貨が並存する傾向が常に存在してきたことについては黒田明伸氏の一連の仕事が示すとおりである。