梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

人間のための通貨(システム)か通貨のための人間か

「燃えてる人の本」谷口吉彦『通貨燃ゆ』日経新聞社
 黒田本の悪口を書いた後だったこともあり、本屋で見かけて衝動買いしてしまったのだが、なんというか黒田本についての批判がほとんどそのままあてはまりそうなうえに、この人も人民元中国経済についてあまりに突っ込みどころの多いことを書いているので頭が痛くなった次第。

 黒田氏とかこの人とかに共通するのは、ユーロに代表される地域通貨システムの問題を、アメリカあるいはドルの支配にいかに対抗できるか、という点からのみしか論じないことである。しかし、どのような地域通貨システムにせよ、その評価は、地域のマクロ経済運営がうまくいっているか、あるいは失業などの経済問題を回避する適切な政策的枠組みが保障されているか、など、そのシステムを導入することによってそこに住んでいる人々の経済的な厚生がどれだけ向上しているか、という観点からなされるべきであるはずだ。そもそも、そういった域内住民の厚生の向上に寄与しない通貨システムが国際市場で信任など得られるはずもないし、ましてやドルに対抗する(それが必要なものだとして)ことなどできるはずがない。本来人々の生活のために通貨システムがあるのであり、決してその逆ではないからである。
 しかし、黒田氏や谷口氏の著作の背景にあるのは、域内の人々の生活の安定と向上よりも、その地域の通貨システムがいかにアメリカに一矢報いられるかを重視する態度のような気がしてならない。でもそれはまるで、国民に窮乏化を強いながら英米に一矢報いるために戦争に突入していった旧日本軍の姿勢そっくりではないだろうか。

 著者は死の直前のスーザン・ストレンジにインタヴューさせてもらったことを自慢げに書いていたり、ストレンジやマル経の伝統である世界経済論・国際通貨体制論に依拠しているというようなことを述べているが、ストレンジの議論はこういう単純なアメリ陰謀論とはかなり違うと思うんだけどなあ。それに少なくとも事実関係のレベルでは相当丹念に文献を読み込んで議論を展開していたと思うのだが。まあ、マル経出自(とは限らないが)の経済学批判の良質な部分については、基本的に創始者の名人芸的な部分に支えられていて、それを能力のない奴らが無理して模倣しようとすると往々にしてとんでもないことになる、という構図は、『諸君』に載った稲葉さんid:shinichiroinaba金子勝批判ともそのままつながってくる問題かもしれない。
 
 というわけで、この本の中国経済に関する記述へのツッコミは、あまりに多そうなので気が向いた時にまた改めてやります。