中国経済というとどうも「わかりにくい」と感じる人が多いようだ。その「わかりにくさ」の一つの背景に、議論の前提となるはずのGDPなど経済統計の信頼性の低さの問題があることは間違いないだろう。最近の話に限っても、2015年に上半期の実質GDP成長率が7%という数字が公表されたころから、中国の経済統計に関する疑念やそれに関する議論が中国の内外で盛んに行われるようになった。2015年は多くの工業製品の名目の生産額がマイナスになっていたにもかかわらず、工業部門の付加価値は実質6%の伸びを記録するなど、統計間の不整合が目立ったためだ。また、2016年2月に国家統計局の王保安局長が解任され、数百人の国家統計局職員が統計データを不正に操作して利益を得たとして取り調べを受けている報道がなされたことも、そういった風潮に拍車をかけたといえる。
そのためかこのところ、統計の信頼性の低さが中国崩壊論の根拠として持ち出されることも多くなった。中でも、先日出版された高橋洋一氏の『中国GDPの大嘘』は、政策にも影響の与える人気エコノミストが書き下ろした本と言うことで、かなり話題になっているようだ。
![中国GDPの大嘘 中国GDPの大嘘](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51BxN3eaT9L._SL160_.jpg)
- 作者: 高橋洋一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/04/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (2件) を見る
というわけで僕も高橋氏の『中国GDPの大嘘』は出版された時に手に入れて目を通したが、正直なところ「これじゃあだめだ」と思った。
確かに中国の経済統計には問題点が多い。しかし、全くデタラメな、根拠のない数字が毎年公表されている訳ではない。後でくわしく述べるが、中国のGDP統計の特徴は、それが発展途上にあるということだ。現在でも経済センサスなどによって常にカバレッジの見直しが行われ、頻繁に過去の値の改訂が行われている。算定の基準が大きく変わるため、統計の連続性をつかむのは容易ではない。特に統計がある年から全く公表されなくなることも少なくない。統計の信頼が低いのは大部分が技術的な要因からだが、そこに政治的な要因が全くないわけではない。だからこそこの問題を論じるとき、研究者は細心の注意を払わなければない。
しかしこの本からは、わかりにくい中国の統計を慎重に扱おう、という経済の専門家として良心的な姿勢を感じることはできない。そもそも、同書には、これまで大量に書かれた中国の統計問題に関する専門書や論文―この下の参考文献リストをどうぞ―にほとんど目を通した形跡がない。つまり、それらの膨大な議論を突き合わせながら、中国のGDPについての批判や代替的な推計のうち、どれがもっともらしいのか理性的に判断する、という作業をほとんど行っていないのだ。その代わりに本書で随所見られるのは、とにかく中国は得体の知れない、日本にとって脅威にしかならない国であり、そこが発表する統計数字などでたらめに決まっている、という先入観に基づいた論断である。現在の中国政府の姿勢や国家のあり方について、それを批判したり警戒したりすることは、当然行われてしかるべきだろう。しかし、中国政府に対峙する上で統計指標の作成能力も含めた政府の能力をあまりに低く見積もる、つまり相手をなめきった態度をとることは、日本の社会にとって何ら有益な結果をもたらさないと思う。
この本の最大問題点の一つは、中国の統計データについて、本来一緒に論じるべきではない、レベルの異なる批判を混同して行っている点にある。
例えば、同書の記述はまず、中国経済の減速に合わせて統計数字の間に乖離が生じているとか、地方政府のGDP統計の合計と全国のGDP統計との間に乖離が見られるといった、比較的最近の、よく知られている現象についての指摘から始まっている。これらは、後述するように十分根拠のある指摘だが、問題なのはそこからだ。同書ではそれに続いて、ソ連経済の統計がいかにデタラメであり、1928年から1985年もでのソ連の国民所得の伸びは公式統計によると90倍だったが実際には6.5倍しかなかった、といった話が挿入される(同書28ページ)。そして、恐らくはそこからの類推として「中国の現在の実質GDP成長率はマイナスであり、実際のGDPは公式統計の3分の1程度」という結論が、ほとんど根拠が示されないまま提示されることになる。
確かに、毛沢東時代の中国はソ連に劣らないぐらいひどいデータのねつ造が行われてきた。その代表的な例が1958−60年の大躍進の際の統計の水増し報告だ(小島2003)。また、マルクス主義経済学に依拠したソビエト型の統計システムであるMPS(System of Material Product Balances) は、サービス部門の生産をほとんど評価しないという欠陥があり、統計データの収集も独立の機関が行うのではなく、国有企業などの生産単位からの一方的な報告に依存していた。いうまでもなく、このようなシステムでは不正報告が極めて日常的に生じてしまう。
しかし、後述するように1990年代以降中国はMPSから世界標準であるSNA(国民経済計算)体系への移行を段階的に進めてきた。そして、サービス産業の統計などはいまだ移行の途上にある。中国のGDP統計に関する疑問点が指摘されるようになったのも、その移行段階で様々な不整合が出てきたことに対応している。つまり、現在に至るまで続いている中国の経済統計に関する様々な矛盾点の多くは、世界標準の統計システムが整備中であることから来るものであり、高橋氏の言うようにソ連の統計システムをそのまま受け継いでいることから生じているわけではない。だから旧ソ連や毛沢東時代における経済統計の政治的なゆがみやMPS体系のでたらめさをいくら強調しても、それは現在のGDP統計の矛盾の解明にはほとんどつながらない。
また、本書では中国の公式失業者統計(登録失業率)が、政府に登録した失業者のみを分子にカウントしているため、失業率の数字が全く実態を反映していないことが指摘されている(42ページ)。これ自体は正しい指摘だが、登録失業率が実態を反映していないことは政府関係者も別に隠したりはしていない。毎年の労働市場の状況を示すデータとしてそれに代わるものがないので仕方ないのだ。失業率の実態に最も近い数字としては、ほぼ5年に一回行われる人口センサスの結果から得られたものがある(丸川2013)。失業率の実態を知りたければ人口センサスから得られた数字を利用すればよいだけの話だし、また登録失業率が実態とかけ離れているからといってGDP統計が実態とかけ離れている証拠になるわけでもない。
本書の第二の問題点は、中国のGDPが過大評価されているという学説や現象だけをとりあげて強調する半面、相反する学説や矛盾する現象にはほとんど言及せず、そこから一方的な結論だけを引き出している点である。
例えば本書では権威づけのためか、著名な中国経済研究者であるトーマス・ロースキーが2001年に公表した、GDP統計が大幅に過大評価しているという論文を引用している。確かにロースキー論文は「中国GDPのウソ」を示す学術的な根拠として日本のマスメディア―その多くはSAPIOとか産経新聞とか文藝春秋といった保守系の―などにも取り上げられた。しかし、ロースキー論文は、李克強指標などよりもさらに原始的な手法で経済統計の不整合を指摘するもので、発表された後多くの批判にさらされ、現在では基本的に過去のものとなっている。むしろ、膨大な先行研究の中からロースキー論文だけに言及するのは、この問題についてちゃんと勉強していない、ということを告白するようなものである。
また同書では、2015年の1月から7月までの輸入額が前年比14%の大きな落ち込みを見せていることをほぼ唯一の根拠に、実質GDPもマイナス成長ではないかと推測している(44ページなど)。しかし、2014年から2015年にかけては、原油価格の下落などを背景に、中国の輸入デフレータは対前年比で10%前後の落ち込みを見せている(松岡=南 =田原2015)。また、月次の輸入総額と一単位当たりの価格の対前年比を示した上の図によれば、同時期の貿易総額の落ち込みが、ほぼ価格のの下落によって説明できることがわかるだろう。ここ1,2年、中国の製造業は典型的な債務デフレの状態にあり、名目値ではほとんど成長していなかった。例えば、2015年の中国の第2次産業の付加価値額の名目成長率は0.9%だ(星野2016)。このことをを考えれば、この時期の輸入額の動向はGDP統計の推移と決して不整合な動きをしていないことがわかるだろう*1。
今の世の中、中国経済に関するマイナスのイメージを増幅させる材料はそこら中に転がっている。それらを単に並べて見せるだけでなく、異なる見方なども考慮した上で慎重に吟味していくのが専門家にとって必要とされている作業なのだが、残念ながら本書にそういった姿勢は見られない。
とはいえ、いうまでもなく現在の中国のGDPに問題があるのも事実である。では、具体的にどのような問題があり、それが「全くのデタラメ」ではないとなぜ言えるのか、その点をきちんと述べておかなければ説得力を欠くだろう。以下では、やや煩雑だが中国のGDP統計についてこれまでどのような問題が指摘されてきたのか、いくつか項目に分けて論じていこう。
*1:このように言えるのは、付加価値の実質化にあたっては輸入価格の変動は控除すべきだからだが、だとすると同時期の中国の第2次産業の付加価値が実質で6%ほどの伸びになっていることとの整合性が問われるだろう。これは後述するように、公式統計のデフレーターが輸入価格を控除しておらず、過少評価になっていることから生じている可能性が高い。