梶ピエールのブログ

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人権、民族、アジア

 遅ればせながら、先週水曜日に神戸で行われたラビア・カーディルさんの講演会について思ったことを書いてみたい。すぐに書くことができなかったのは、ウイグルの問題を含め、中国の民族問題について考えることの難しさを改めてかみ締めていたからである。ちなみに、講演会の模様がどんなのようなものだったか、いくつかネット上に出ているが、この東京公演のレポートが詳しいと思うのでそちらをご参照ください。

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大沼保昭『人権、国家、文明』

 この問題を考えていくときに、導きになりそうな本というとやはりこの名著が真っ先に思い浮かぶ。 

人権、国家、文明―普遍主義的人権観から文際的人権観へ

人権、国家、文明―普遍主義的人権観から文際的人権観へ

 たとえば、アジア諸国の指導者はしばしば自らの文化や社会の特殊性や独自性を根拠に、欧米の人権外交を批判する。しかし、自らの文化や社会を特殊・独自と位置づけることによって、彼(女)らは無意識のうちに「普遍=欧米、特殊=非欧米」という図式を再確認し、再生産しているのである。こうした「普遍=欧米、特殊=非欧米」の図式に立脚する限り、アジアやアフリカ起源の何らかの思想なり制度なりが普遍的適用性を持ち得るという発想が生まれることは困難である(183ページ)。

 本来「人権」という考え方をもたなかったアジア・アフリカの諸国民にとって、自らの切実な欲求や願望を定式化する理念や理論はほかにもあったはずである。にもかかわらず、植民地支配からの独立や経済発展というもっとも切実な要求を表すのに、彼(女)らは敢えて「民族自決の権利」、「発展の権利」という権利の擁護を選びとり、さまざまな理論的・実際的な困難と無理を犯してまで、これを「人権」として正当化しようとしたのである(187ページ)。