著者の丸川さんよりご恵投いただきました。現代中国経済についての包括的かつオリジナリティあふれる「読んで面白い」テキスト、待望の新版です。
「悪の愚かさ」と「アジア」への向き合い方
先日のブログ記事に対して、光栄にも東浩紀氏より直接反応を頂いた。
拝読しました。中島隆博氏とぼくの対談についての3年越しの応答で、たいへん刺激を受けました。悪についてはその後も考え続けています。コロナが収束したら、できれば梶谷さん・中島さんといちどこのテーマで3人でお話ししたいですね。https://t.co/qsQuqsdO8W
— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) 2021年7月26日
というわけで 『ゲンロン10』に掲載された東氏(以下、敬称略)の評論「悪の愚かさについて、あるいは収用所と団地の問題」および『ゲンロン11』の「悪の愚かさについて2、あるいは原発事故と中動態の記憶」を読んだ。東がこういった主題に本格的に取り組んでいることについて、今まで不覚にも知らないでいたのだが、遅まきながらこの時期に読めてよかったと思った。
前者の評論は、2019年の春に東が中国ハルビンの七三一部隊罪証陳列館の人体実験の研究所を尋ねて、そこで研究所のあった場所にマンションが建っていることに強い印象を受けて考えたことがベースとなっており、「大量死」と「大量生」の連続性の問題から過去の悪への向き合い方を考えた文章だ。
後者では、前者の問題意識を継続しつつ、第二次大戦の日本軍の「悪」とは、主体的に選択されたものでも(能動)、また背くことができない命令によって強制的にやらされた(受動)でもなく、「なんとなく」「はっきりとした自覚なしに」手を染めていた、いわば「中動態」の行為だったのではないか、という問題提起が、国分功一郎の著作を援用する形で行われる。そして、「なんとなく」行われてしまう悪の愚かさを語り継ぐことの重要性が、チェルノブイリ原発事故の問題と重ね合わされながら語られる。
どちらも重要な問題提起を行っていると思うが、僕には後者については本格的に論じる能力はないので、ここでは前者を中心に論じることにしたい。
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