梶ピエールのブログ

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東アジアの通貨統合は果たして望ましい政策レジームか

 さて、前回id:kaikaji:20060610紹介した伊藤隆敏氏らによる議論の柱を整理すると、次のようになるだろう。

 ・アジア諸国からの資金流入によって支えられたアメリカの経済赤字はすでに持続不可能な水準にあり、何らかの調整が必要とされる。
 ・現実的な調整手段として、域内貿易比率の高い東アジア諸国の通貨が歩調をそろえてドルに対して切り上がるのがよい。
 ・東アジア諸国間の金融政策協調を円滑に行うための手段として、為替制度としては域内共通バスケットの採用、国内金融政策としてはインフレ・ターゲット政策の採用が望ましい。
 ・域内での共通の通貨バスケット採用が実現すれば、共通通貨バスケット建て債権の発行などを通じて域内の金融面での安定性・統合性は一層高まり、アジア共通通貨(ACU)採用の条件が整う(はずだ)。

 これらの為替政策と国内金融政策のパッケージからなる「政策レジーム」を日本を含む東アジア諸国が採用することは、アメリカにとっては直近の貿易不均衡の問題を解決できるという点で、また中国にとってはアメリカからの通商圧力が自国にだけ向けられる状況を回避できるという点で、さらに日本にとってはこれらのアジア域内政策協調の枠組みを主導して行うことで域内の経済安定に寄与し、国際的地位の向上を図ることができる、という点で、それぞれメリットがある、と考えられる。この政策レジームが日・中・米の政策調整の意味合いを持つ、と最初に述べたのはそういう意味においてである。
  
・・こういうふうにまとめるとなんだかいいことづくめのように思えるが、個人的にはこの構想は次のような理由からかなり大きな問題を抱えているような気がしてならない。ただ、周到な議論をするのにはまだ準備不足なので、とりあえず思いつくままに問題点をあげておくことにしたい。

 まず第一に気になるのは、通貨統合を行う条件となる域内各国の経済構造の差の大きさが小さく見積もられすぎているのではないか、ということだ。これについてはは小川英治氏による「アジア通貨単位(AMU)と東アジア通貨のAMU乖離指標」を試算するプロジェクトもあり、それらの結果を踏まえたより精緻化された議論が必要だろう。

 ただ、ここで指摘しておかなければならないのは、東アジアのように域内に発展途上国・新興工業国・先進工業国というさまざまな発展段階にある国が含まれている場合、構成国の間で景気が同調的に動いているかどうか、という短期の問題のほかに、労働生産性の大きな変化による実質為替レート調整の必要性の問題(バラッサ=サミュエルソン効果)も考慮する必要があるだろう、ということだ。たとえば現在の中国がまさにそうであるように、ある国の生産性が急速に上昇する時にはその国の為替レートに強い増価圧力がかかるが、それが通貨統合された地域のある一国で生じる場合どのように調整されるのだろうか。

 二番目の問題点は、最初の問題とも大きくかかわるが、これまでのところ東アジア域内の経済統合に関する議論のうち常に先行しているのが貿易と金融の問題であって、域内労働力移動に関するが非常に遅れているように思われることだ。このことは例えば東アジア共同体評議会の中間レポートである田中明彦伊藤憲一監修『東アジア共同体と日本の針路』ISBN:4140810742 を開いてみれば明らかであり、そこに域内貿易の進展とチェンマイ・イニシアティヴなどの金融協力に関する章はあっても域内における労働力移動の推進に関する記述はごくわずかしかない。

 しかし、マンデルの最適通貨圏の議論が示すとおり、通貨統合が行われ金融政策の自立性が放棄されたもとでは、資本移動と共に労働力の移動が域内の経済不均衡を是正するための重要な手段となる。例えば一点目で述べた労働生産性上昇による不均衡発生の問題も、域内の労働力移動が自由であればそれほど大きな問題にはならない。

 しかし、現在の日本の中で外国人労働者を自由に受け入れることにかんする合意が形成されているだろうか。確かもう20年近く前外国人受け入れをめぐって西尾幹二氏や堺屋太一氏らの間で激しい議論が戦わされたことが合ったが、あれから少しでも議論は進んでいるのだろうか。
 労働力・移民の受け入れは直接社会・文化の摩擦を呼び起こすだけに通貨統合よりもある意味では国民的合意を形成するのは難しいかもしれない。しかしだからといって、経済統合を行う際に避けて通れないこの問題について広く合意形成の努力が行われないまま、通貨統合に関する議論が先行するのはあまりに危険ではないだろうか。


 三つ目の問題点は、もともとの議論の出発点が、アメリカの現在の経常収支赤字が持続不可能であり何らかの調整が避けられない、というものであったにもかかわらず、この「東アジア通貨一斉切り上げ+域内政策協調」案においては、不均衡調整のコストをアメリカ自身にも求めるという発想が一切ないことである。オブストフェルド=ロゴフが主張するように確かになんらかの形で現在の国際収支不均衡が是正されなければならないとして、アメリカ自身にここ数年で急速に拡大した財政赤字に対する反省を促す必要はないのだろうか?せめてアイケングリーンのように米・欧・亜が何らかの形でコストを分担すべきだ、という議論をすべきなのではないか?

 最後に、冒頭ではこの域内通貨統合を柱とした政策レジームが日・中・米それぞれにメリットがあるような書き方をしたが、このうち日本にとってのメリットはどうも経済の「実」よりは域内の新しい経済秩序への積極的な関与というより政治的な「名」が先に来ているような気がしてならない。例えば、今後もし東アジア内の金融政策協調を日本が主導で行っていくとしたら、政策当局は速水前日銀総裁が泣いて喜びそうな「強い円」を指向した政策運営を続けていかざるを得ないだろう。これが果たして国内経済にとって「実」をもたらすのかどうか。
 竹森俊平『世界恐慌は三度来る』 ISBN:4062820064安達誠司『デフレの歴史分析』 ISBN:4894345161 など日本のマクロ経済政策史を論じた好著が繰り返し説いているのは、日本が国内経済の安定よりも国際的地位の向上を優先させ、そのための手段として「強い円」を指向すると決まって碌なことにはならない、ということである。円が新しいアジア共通通貨単位の基軸通貨となる、という構想はあまりにもこの「失敗のパターン」をなぞってはいないだろうか。

 というわけで、個人的にはこのような理由から前回説明した東アジア域内の通貨統合に関する構想には極めて懐疑的である。ただ、これだけ周到な議論が背後に積み立ててられている以上、批判する側の方も域内・国際金融秩序に関する代替的なプランを含めたより広範な議論を組み立てていく必要があるかもしれない。

 ・・というわけでこの話題についてはとにかく今のうちから活発な議論が交わされることが大事だ、と思い、このようなきわめてラフなエントリをまとめてみた次第である。ぜひ忌憚なきご意見を頂きたい。