梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

まぼろしの北京開発計画

北京―皇都の歴史と空間 (中公新書)

北京―皇都の歴史と空間 (中公新書)

 上海などに比べるとありそうであまりない、北京を題材にした都市論の本。本書は一種の社会主義論という性格も持っていて、中国社会主義を特徴づける独特の存在「単位社会」はもともと日本の炭鉱町や企業城下町と同根のものであるが、日本との違いは戦時動員体制の強い影響下でそのスタイルの完成をみた点だ、という指摘などは大変興味深い。
 さて、1949年に中華人民共和国が成立した当時、首都北京の都市開発をめぐって、旧城内を開発して政官庁や宿舎を建設するという案(すなわち実際に採用された方式)と、梁思成と陳占祥により提案された、旧市街地の西側に新都心を建設し、旧城の街並みは歴史的遺産としてそのまま保存する、という案の間で激しい論争があったことはよく知られている(例えばこちらを参照)。

 といっても、僕にこの問題について特にひけらかすような知識があるわけではない。梁思成についてもこれまではほとんど知らなかった。ただ、ここ数年間に読んだ中国関係の本の中で何度か彼の名前が出てきていたので、今回上の本でまた彼(とその都市計画案)にかんする言及を目にしてちょっとピンときた、というだけのことだ。

ワイルドグラス―中国を揺さぶる庶民の闘い

ワイルドグラス―中国を揺さぶる庶民の闘い

陳真―戦争と平和の旅路

陳真―戦争と平和の旅路

 この本(倉沢=李著)では、二つの都市計画案の対立は結局のところソ連型の社会主義的都市観とと英・米型の都市観の対立であり、それぞれに一長一短ある、というような「中立的」なまとめ方をしている。
 それに対し、ピュリツァー賞を受賞したイアン・ジョンソンの著作では、近年の行政主体による都市再開発=住民の強制立ち退きラッシュに疑問を投げかける視点から、50年以上前の段階で長期的視野に立った旧城の歴史景観保護を主張した梁思成の先見性が高く評価されている。また野田正彰による陳真さんの伝記では、彼女が北京放送の記者時代に、梁思成の都市計画に共感を抱きそれを紹介する記事を書いたところ、上層部からの指示で握りつぶされた、というエピソードが紹介されている。
 これからオリンピックにかけて「北京論」もいっそう盛んになるだろうが、その中でこの梁思成の都市計画案は論者の立ち位置を示す一種のリトマス紙の役割を果たしていくのかもしれない。

 さて、都市の景観保存というと僕などはどうしても京都の「景観論争」を思い出してしまうが、町が碁盤の目になっているという以外はあまり似ていないこの二つの古都を通じて、都市における開発/伝統、あるいは自由/社会といった問題を改めて考えてみるのも面白いかもしれない。果たして、京都と北京のどちらのほうがより「自由(主義的)」な街なのだろうか。