梶ピエールのブログ

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佐藤卓巳・孫安石編『東アジアの終戦記念日』ちくま新書

東アジアの終戦記念日―敗北と勝利のあいだ (ちくま新書)

前著『八月十五日の神話』はあちこちで話題になった力作だったが、日本の「8月15日神話」と対比されるべき周辺国の終戦記念日の説明について、若干の疑問点も提起されていた(id:kaikaji:20050912)。恐らくこういった批判を踏まえてだろう、佐藤卓巳氏が戦争とメディアに関する共同研究を行っていた韓・中台の近現代史研究者たちとのコラボレーションを実現させ、その成果をまとめたのが、本書。
 こういった日本史研究と東洋史(というくくりが適当かどうかはさておき)研究の間で相互作用が盛んになることはとてもいいことだと思うし、「終戦」「敗戦」を単なる「国民」の間だけで閉じられた「夏の季語」とするのではなく、アジアでの戦争や植民地支配の問題を広く国際的に議論していくためにも「8月15日神話」およびそれに支えられた「8月ジャーナリズム」の相対化を図るべきだという著者のメッセージには、僕も基本的に賛成したい。 
 が、そこで素朴な疑問が一つ。前著のときもそうだったのだが、「8月ジャーナリズム」からの脱却を訴えた本が、どう考えても「8月ジャーナリズムによる戦争本需要」を当て込んだとしか思えない絶妙のタイミング(7月10日発売)で出版されるというのは、果たしてどうなんだろうか?

8月だからしょうがない

  先日の参議院選挙の結果に、久間前防衛相の「しょうがない」発言がどの程度影響を与えたのかは分からない。ただ、上のエントリとのからみでいえば、あの一件は日本社会における「8月ジャーナリズム」の「しぶとさ」「相対化の難しさ」を示すものとして解釈できるのではないだろうか。
 いささかアイロニカルな言い方になるが、「8月9日」が決して近隣アジア諸国とは共有されない「国民の間で閉じられた記念日」であったからこそ、あの発言が安倍政権にとって大きな逆風の一つになる、という現象も起きたのではないだろうか。そう考えると、靖国参拝小泉人気を支えてきたという現象と、今回「しょうがない」発言が安倍政権の逆風となったという現象は、おそらくコインの裏表のような関係にあるのだ。

 その点で、先日発売された『諸君!』9月号掲載の柴山哲也氏の論考「久間前防衛相の「原爆発言」がGHQの呪いを解いた」は、一連の「発言」をめぐる騒ぎの中で、日本の世論に最も欠けているものはなにかを鋭く指摘したもので、立ち読みでもいいから一読の価値がある。
 ちなみに今月の『諸君!』は、これ以外にもアジアにおいて「反戦」や「人権」を語ることの難しさを考える上で刺激的な論考が多く、久しぶりに「買い」だと思います。