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シンガポールの英文紙Think Chinaに、中国の産業政策に関する文章を寄稿しました。以下は、記事の元になった日本語の文章です。

 今、中国の産業政策がいくつかの観点から世界の注目を浴びている。
 一つは、言うまでもなく、米中間対立の争点としてだ。2020年1月、米中両政府の間で交わされた貿易協議第一段階の合意は、関税の引き下げや知的財産の保護強化といった分野に限定された。中国にとって譲歩が難しい産業補助金などの分野は先送りされたが、今後の米中間の通商交渉において大きなハードルになると考えられている。中でも、何らかの形で政府が関与した投資ファンド、いわゆる「産業補助金」を通じたハイテク企業への支援は、米国から大きな批判を浴びている。このような産業補助金、特に地方政府が設立したそれの存在が、政府介入によって市場をゆがめ、競争の公正さを損なう「悪しき産業政策」なのか、という問題が今後の焦点となろう。
 第2の注目すべき点は、2020年より顕在化した、アリババなどのプラットフォーム企業に対する独占禁止法を掲げた当局の締め付けとの整合性が問われている点である。もともとアリババ、テンセントといった大手プラットフォーム企業は、GAFAと称される米国の大手IT企業の活動を制限する保護政策の下で台頭してきた、産業政策の申し子ともいうべき性格を持つ。しかし一方で、その存在や社会・経済への影響力が大きくなりすぎたことから、現在はむしろその活動に大きく制限がかけられようとしている。2021年4月に、アリババが採用してきたいわゆる「二選一」という、Eコマースへの出店にあたってライバル企業への出店を禁じる措置が公正な取引を阻害しているとして、182億2800万元という多額の罰金を命じられたことは記憶に新しい。
 第3の点は、中国政府は気候変動への取り組みとして、産業政策を通じた脱炭素の実現を掲げている点である。もともと中国では都市の大気汚染対策として電気自動車メーカーや消費者に対して補助金を与えるなど、その普及を促進する政策を積極的に進めてきた。背景には、ガソリン車に比べて開発が容易な電気自動車の分野で世界のトップメーカーを育成しようという産業政策的な狙いも見え隠れする。さらには、2021年には全国レベルでの炭素排出権取引の仕組みも導入された。当初は大手電力会社が対象だが、次第に石油化学、鉄鋼、航空などの業者に広げていくという構想も伝えられている。
 このような、中国の産業政策を理解する上で重要なポイントは二つある。
 一つには、中国政府が進める産業政策は、必ずしも一部で喧伝されているように国家資本主義的な、市場をゆがめるものとは言い切れない、という点である。むしろ、その多くは現在の経済学の潮流から見ても十分評価に耐えうるうるものである。そもそも、近年主流派経済の中では、産業政策に対する再評価が急速に進んでいる。その実行手段についても、研究開発への補助金、研究開発費に関する税額控除、パテントボックス(特許から生じる利益に関する優遇税制)など、非常に多様化しており、それぞれについて実証研究に基づいた評価が進んでいる。
 注目すべきなのは、こういった経済学における産業政策の再評価を通じて、中国の存在が改めてクローズアップされている、という点である。もちろん、中国の産業政策への関心の高まりは、米国政府によるハイテク分野での中国の台頭への警戒、および対抗的な産業政策の採用に直結してもいる。さらには、上述のアリババなどを対象とした独占禁止法の適用問題に関しても、西側諸国、とくに欧州においてプラットフォーム企業による国内市場の独占や課税回避などの動きに批判が高まり、デジタルサービス税などを貸す動きが高まっていることと呼応している。中国当局は、これらの西側諸国の動きを十分に学習した上で政策を立案していると考えられる。
 中国の産業政策に関するもう一つのポイントは、その決定過程において中国人民銀行をはじめとする国有銀行部門が重要な役割を果たしているという点である。
 例えば、政府によるアリババへの締め付けが強まった背景には、グループ内のアントフィナンシャルによるアグレッシブな金融サービスの提供が、銀行経営を圧迫することへの国有銀行部門の懸念が存在することが指摘されている。神戸大学の川島富士雄教授は、中国人民銀行がデジタル人民元の導入への取り組みを通じて、アリペイなどのプラットフォーム企業の決済サービスに依存しなくても消費者の情報収集が可能になるなど、政府とプラットフォーム企業との「蜜月」が終了し、その規制を主張する金融当局の意向が政策に反映されるようになったのではないか、という見方を示している。この意味で、『財新週刊』2021年第15期の誌上で、全人民銀行行長の周小川氏がプラットフォーム企業へのデジタルサービス税の導入について、肯定的にコメントする対談記事が掲載されたことは注目に値する。
 さらに、気候変動への脱炭素の取り組みにしても、そのためには巨額のインフラ投資が必要になることが指摘されており、その資金調達手段としての「グリーン債券」などの発行が中国人民銀行を中心に進められていると伝えられる。また、環境に配慮した企業などに投資するいわゆるESG投資の仕組みや、排出権取引をスムースに行うための関連する金融取引の市場の整備においても、人民銀行を中心とした金融部門の役割は大きい。
 このように中国の産業政策の実施が、外資系企業や民間企業との競争から一貫して守られてきた国有銀行部門の利権保護につながっていることには、依然として注意が必要である。それでも、これまでの中国の産業政策が、十分に経済的な効率性を追求したものであり、その実行手段も西側諸国を含む世界の潮流を踏まえた洗練されたものになってきている。この点を十分に踏まえたうえで、その動向に注視したい。