- 作者: 遠藤誠治,遠藤乾
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2014/10/29
- メディア: 単行本
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責任編者のお一人である遠藤誠司さんよりご恵投頂きました。米国のパワーの衰退、日本における民主党政権の挫折と、中国の台頭と周辺諸国との軋轢、という現実を踏まえた、リベラルな立場からのクールな安全保障論議ということで、従来の「岩波」のイメージとはひと味違うキレのある論考が並んでいます。
もう一人の責任編者である遠藤乾さんによる下記の連続ツイートが、シリーズ全体がどういった議論を目指そうとしているのかをよく伝えていると思います。ちなみに私もこのシリーズの第5巻(『チャイナリスク』)に寄稿しています(既に原稿を出しておきながら言うのも何ですが、私はこの辺の基本的なコンセプトがほとんどわかっていませんでした・・すみません)。
(再掲?)
安全保障は、威嚇(ないし抑止Deterrence)と安心供与(Reassurance)の2本立てで、相手(の認識・誤認)と織りなす象徴的な相互作用。それは安全保障論のい・ろ・は。
E.g. Jervis (1967).
— Ken Endo 遠藤 乾 (@ken_fiore_endo) 2014, 10月 28
?威嚇とは<やったらひどい目にあわすぞ>というものに対し、安心供与とは<ひどいことはしません><もうやりません>というメッセージを相手の認識に摺り込むこと。この2面と・も・に安全保障なのが忘却される。
— Ken Endo 遠藤 乾 (@ken_fiore_endo) 2014, 10月 28
?前者の威嚇(抑止)のみを強化し、後者の安心供与を概ね無視し、戦後に長きにわたり積み上げた平和主義の道具立てを一つ一つ積み木崩しすることが、安全の強化だとするという自称安全保障専門家の論理は、安全保障論からしておかしい。
— Ken Endo 遠藤 乾 (@ken_fiore_endo) 2014, 10月 28
? 日本は過去の侵略の有無を認めるのか。慰安婦問題に対処するのかなど。これらは、海外で戦うために兵隊を出すのか、自国製の潜水艦を輸出するのか、といった問題と同様に、安全保障理論からすると安心供与(Reassurance)の一部。
— Ken Endo 遠藤 乾 (@ken_fiore_endo) 2014, 10月 28
?しかし、これらは、自称安保専門家が、歴史認識を(狭義の)安全保障と峻別し、自衛隊や日本の軍事的関与への制約を(再び狭義の)安全保障への障害としか見てこなかったために、統一的に扱われなかっただけでなく、
— Ken Endo 遠藤 乾 (@ken_fiore_endo) 2014, 10月 28
?<ひどいことはしません>という自制や<もうやりません>という宣言は、立派な安全保障政策であることを、こんにち優勢な片面的・部分的安保論者は見落とし、世界標準からして歪んでいると攻撃し続けている。安全保障(論)を不勉強なのはどちら?
— Ken Endo 遠藤 乾 (@ken_fiore_endo) 2014, 10月 28