梶ピエールのブログ

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習近平政権が恐れているものは何か。

 

著者の麻生さんよりご恵投頂きました。ありがとうございます。


「中国:新公民運動の中心・許志永氏に懲役4年 秩序騒乱罪『毎日新聞』2014年01月27日

北京市第1中級人民法院(地裁)は26日、中国で憲政の実現などを訴える「新公民運動」の中心的人物で、公共秩序騒乱罪に問われた著名活動家、許志永氏(40)に懲役4年を言い渡した。
 新公民運動は中国憲法の範囲内で市民の権利擁護を求める動き。許氏の弁護士によると、公共秩序騒乱罪の最高刑は懲役5年。習近平政権下で、平和的な手段で民主活動を主導してきた許氏がどう裁かれるかが注目されていた。
 起訴状などによると、許氏は12年から13年にかけ、出稼ぎ労働者の子が教育を受ける権利を守る運動などを展開。その際、横断幕を掲げ、人を集めたことが同罪に当たるとされた。(共同)

 このニュースについては先日日本の各メディアも伝えたものの、「新公民運動」とは具体的にどのようなものなのか、出稼ぎ労働者の子が教育を受ける権利を守る運動などを展開するとなぜ罪に問われるのか、ノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏のような「民主活動家」とはどのような関係にあるのか、十分な説明がされているとは言い難い。その辺の詳しい背景を知るために、上記の麻生さんの本は格好のガイドになる、と言っていい。
 麻生さんの本を読んで頭の中を整理し、いくつか得られた知見を列挙してみる。まず、「新公民運動」は広い意味で中国における「公民(市民)社会」の実現を目指すいくつかの流れに位置づけられる。「公民社会」の実現を目指す流れには、2008年の四川大地震で露わになった行政の不備を埋めるようなボランティア団体、B型肝炎患者に対する差別などある程度の広がりを持った社会問題に取り組むNGO、地方政府と住民との軋轢など、よりローカルな問題に取り組む「草の根」型の社会運動、などかなり幅広いものが含まれる。これらは、劉暁波や「零八憲章」といった言葉でイメージされる「民主化運動」とは、一部人的ネットワークで重なりはあるものの、基本的に異なる流れにある、といっていい。

 「公民社会」の実現を目指す流れと従来の「民主化運動」との大きな違いとして、前者が現行の国家体制、憲法の枠組みの中での人権の擁護を訴えていること、個々の具体的な社会問題の解決を訴えた活動から出発していること、海外、特にアメリカの人権団体との結びつきは薄く、基本的に自前で活動を展開していること、等の点が挙げられる。今回有罪判決を受けた許氏はもともと法律家でリベラルな人権擁護活動を展開する弁護士などのグループに属していた。一方、ローカルな「草の根」の活動を展開しているような人々は、必ずしも政治的にリベラルな「右派」に分類されるわけではなく、かなり反日・愛国的な主張を持っていたり、共産党政権には信頼感を抱いているケースも多いようだ。むしろ、そのように決して単純にはくくることができない動きだからこそ、社会を変えていく潜在的な力がある、ということなのかもしれない。
 
 このような体制の枠組みの中での社会運動を、当局も頭ごなしに弾圧する訳にはいかないので、公益NGO申請を認めないで会計上の問題をついて脱税で摘発したり、許氏のケースのように許可なく集会を開くなど、明らかに微罪としか思えない行為に「公共秩序騒乱」といった罪状をかぶせて取り締まりの対象にしたり、次第に警戒を強めている、というのが実情のようだ。このような様々な「草の根」の活動を取材してきた麻生さんも、2013年に2回にわたって中国国内への入国を拒否されている。

 麻生さんによれば、中国政府にとって本当に怖いのは、海外で中国政府や共産党をまるで悪魔の手先であるように口を極めて罵るような「中国たたき」に従事するメディアや言論人ではない。つまり、本当に恐れているのは中国国内にあって政権をゆるがすような「人のつながり」「人の動き」を作り出す人々であり、そこに食い込んで一つの流れを作り出すような知識人だ、ということなのだろう。
 色々な意味で現在の中国を深く考えるための良質のテキストとして、一読をお勧めしたい。