梶ピエールのブログ

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上海‐温州高速鉄道乗車記

 8月8日から11日にかけて、科研の調査旅行で温州に行く機会があり、関空から上海に入った後、温州まで7月23日に事故を起こした「動車(在来線を走る高速鉄道)」に乗って移動しました。切符代は2等車で187元と、同じ移動区間の航空券が900元以上かかることを考えればかなり安めです。以下、その際に撮影した写真を何枚か紹介します。

上海虹橋駅の乗車待ち合い室の様子。とにかくだだっ広い。

乗車券を見せるとミネラルウォーターをサービスで配ってくれる。

座席は先頭車両。乗車する前に記念写真を取る人も多い。

車内の様子。ほぼ満席。

食堂車(8号車)で販売していた弁当(鶏肉のカレー煮)。インスタントのスープとセットで35元。かなり高め。でも、ご飯はおいしく炊けていた。

無事温州南駅に到着。この駅もかなりだだっ広い。



 移動中、車両の中で多分子供がお茶かなんかの飲み物をこぼしたのがこちらの方まで広がってきて、床に置いていた荷物がびしょぬれになるという「アクシデント」はあったものの、それ以外は最高速度240km/h出しているときも加速などとてもスムースで、4時間半の移動は快適そのものだった。

少し前(あるいは内陸ならば今でも)に中国を旅行した人なら、たぶん高速道路を信じられないスピードで飛ばして車両を次々と追い越していくタクシーに乗車したり、ガードレールのない山道を走るバスの車窓から、転落したトラックが二、三台転がっているのを見降ろしたりして、まさに「生きた心地がしない」ような思いをしたことが何度かあるだろう。「危ない」というなら、そういった経験のほうがよっぽど「危ない」経験だったのは間違いない。

 しかし、今回の事故によってあらわになった中国の高速鉄道の「危険さ」は、そういった「危なさ」のとは全く意味合いが違っている。日本の新幹線を含め、様々な先端技術の「いいとこどり」で作られた高速鉄道は、乗っている間「生きた心地がしない」どころか、むしろ科学技術によって完全に制御されており、それが事故を起こすとは全く信じられない、絶対的な安心感を与える乗り物だと言ってよい。
 だからこそ、それが悲惨な事故を起こしたときに、中国で市民生活を営む幅広い層が大きな衝撃を受けたのである。というのも、それは単に悲惨な列車事故であるというだけでなく、近代的な市民生活を支えているシステム自体への信頼性が揺らぐような印象を与えるものだったからだ。
 たとえば、内陸部の山奥の曲がりくねった道で起きる、バスやトラックの転落事故は、中国社会の「遅れ」を象徴するものであり、それを克服するためにはさらなる経済発展を行うしかない。しかし、沿海部の高速鉄道で生じた事故は、むしろ社会が「進みすぎた」がゆえに起こった問題かもしれないのである。だとすれば、それを克服する方法は、「進歩」「科学技術」への懐疑的な視点も含めた、より複雑なものにならざるを得ない。そう、それはまさに、以前のエントリで述べたような、「リスク社会」が抱える問題そのものである。7月の事故およびその後の政府、マスコミ、微博での反応は、やはりそういう問題意識なしでは理解できないのではないかと思う。