梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

『海角七号』を観たゼ!

 先日、台湾で空前のヒットを記録した映画『海角七号』を梅田の映画館で観た。

 ストーリーや背景に関しては、トゥルバドゥールさんのブログ記事を参照。

 この映画を表すのにぴったりくるキーワードは、「イケてない」これだろう。まず、エドワード・ヤン仕込みだというヤン・ダーシャン監督の演出は、エドワード監督のスタイリッシュな映像とは似ても似つかない、スキだらけでイケてないものだ。また、台湾で書いていたブログの記事がもとでスカウトされたという日本人女優の演技もお世辞にもうまいとは言えず、イケてない。たかだか中孝介の前座を務めるために大騒ぎする、主人公率いるバンドの演奏もイケてない。町おこしのために美しい海岸でコンサートを企画する、映画の舞台である恒春の街の「中途半端な辺境さ」もイケてない。地元名産の酒も、ビンローも、少数民族の音楽も、人間国宝級の月琴も、すべてが台湾というローカル性を離れることができないという意味でイケてない。たぶん日本での興行成績も、残念だが「イケてない」結果に終わるのではないだろうか。

 ・・こうしてみると、この映画で使われている「イケてないもの」とは、そっくりそのまま「台湾的なもの」と読み替えが可能であることに気づく。要するに、いまや、「台湾的である」ということ=イケてないことなのだ。この映画は、台湾に住む人々が自分たちにとっての「辺境の地」である恒春に「懐かしいけど、やっぱりイケてない台湾」を再発見するための映画であり、それゆえに台湾映画界史上二番目(一番目が「タイタニック」だというのもなんとなくイケてないが)の大ヒットを記録したのだと思う。

 かつて本省人初の総裁である李登輝が「台湾人の悲哀」を語ると同時に、「台湾人として胸を張ろう」と呼びかけたのは1980年代末から90年代にかけてである。そこに現れていたのは今思えば、当時の高度経済成長のもと「四つの龍」としてもてはやされ、いち早く民主化をとげた台湾の、もしかしたらイケてるかもしれないという自己イメージに支えられたナショナリズムだった。そこでは大陸の中国・中国人こそが、自分たちとは対照的な「イケてないもの」のイメージの象徴でもあった。

 しかし、その後、台湾をめぐる状況は大きく変わった。「中華民国台湾化」の象徴であった陳水扁政権は、金銭スキャンダルにより最悪の幕引きを迎えた。変わった馬英九政権の人気は一向にぱっとせず、台湾をどういった方向に導こうとしているのかがまるで見えない。その間に中国と台湾との力関係も大きく変化した。中国人やその文化は洗練されていないかもしれないが、グローバルな世界への影響力を日に日に増しつつある。それに対し、台湾人が世界性を身につけようと思えば、結局のところ欧米に留学するしかない。そのことを象徴するのが、候孝賢、李安、楊徳昌蔡明亮といった世界的なスターは生み出したものの、全体として活力を失い、中国に大きく水をあけられた映画界なのではあるまいか。
 そんな中に、「台湾的なものは確かにイケてない、しかし、かけがえのないものである。そのかけがえのないものを私たちは、愛し続ける」というある意味で脱力した、しかし強烈なイメージを放ったのがこの『海角七号』であったと言えるのではないだろうか。これは、考えようによってはこのところ「負け続け」のように見える台湾による、中国に向けての力強いカウンターパンチともいえるかもしれない。世界の中でどう考えてもローカルでしかない、「イケてない」ものを、そのかけがえのなさゆえに愛する、という姿勢こそ、たぶん現在の中国における公定ナショナリズムに最も欠けたものだからである。