梶ピエールのブログ

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地に足をつけよう

 

農民も土も水も悲惨な中国農業 (朝日新書)

農民も土も水も悲惨な中国農業 (朝日新書)

 これも草思社的なセンスの(しかし草思社ほどキレがない)タイトルだなあ。しかも朝日新書の中の一冊ときた。やれやれ。

 しかし本書の内容はまじめな農業経済研究者が、地道な現地調査をもとに書いた文字通り「地に足が着いた」もの。特に農薬漬けになっている状況を「人糞を熟成させずに生のまま肥料として使っているからだ」「農村に入った研究者はまず土を自分の手で触ってみるべきだ」といった指摘は農業の専門家の発言として傾聴に値する。

 本書内容については、基本的に賛同するところと、ちょっとついていけないところの両方がある。賛同できるところは、「所有制」の大きな変化の中で、中国農村に生まれつつある新たな格差の状況を的確に捉えている点だ。昨年の三中全会で、中国共産党は農地使用権の移転にお墨付きを与えた。財産である以上、自分の意思により処分したり貸し出したりすることは当然の権利であるはずで、それを認めることは社会の「公正」の点からも望ましいように思える。しかし、現実には制度的なゆがみにより不当に安い価格しかつかない農地を、わずかな現金を手にするために手放さなければならない人たちがたくさんいるとしたら?

 現代の中国農村では、村が一旦農民から土地を集めて集約化し、それを「竜頭企業」と呼ばれるアグロインダストリーや、一部の財力のある農家に改めて請け負わせるという状況があちこちで生まれつつある。そしてそういった大農場では、より貧しい農村からの出稼ぎ者を雇用し低賃金の農作業にあたらせる、といった「農農格差」が急速に広がりつつある。
 もちろん、そういった大土地経営者も土地の所有権を持っているわけではなく、厳密な意味では「地主」ではない。しかし伝統的な中国では、もともと個人の土地に対する包括的な権利の行使を公権力が認めたり保護するという状況は存在しなかった。その意味では、所有権があいまいなまま、一部の農家が広大な土地をなんとなく実体として支配し、出稼ぎ農業労働者を「搾取」するという現在の状況は、かつての「地主制」といったいどこが違うんだろうか。高橋氏ならずとも、そういった状況に対し(かつて地主制を目の敵にした)共産党がお墨付きを与えているという情況は、何かおかしい、と思わざるを得ない。

 本書でちょっとついていけないのは、その農本主義的・文明批判的なスタンスである。 中国製食品の安全性の問題は日本の企業、ひいては日本人自身の意識の問題でもある、というところまではいい。だからといってそこで出される処方箋が、食生活全体の加工度を下げること、すなわち「袋の味」を脱して「おふくろの味」に帰れ、というのはどうだろうか。エスピン=アンデルセンを参照するまでもなく、少なくとも日本社会において「おふくろの味」とは老人介護も含めた福祉サービスの提供を「おふくろ」が過度に担わなければならない状況と表裏一体であったはずだ・・とかいろいろ理屈を考えたけど、要はこれって世界同時不況以降顕著になっているノスタルジーの一種じゃないの、という気がしてならないのだが。