梶ピエールのブログ

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ハンガリー事件と日本の左翼

ハンガリー事件と日本―一九五六年・思想史的考察

ハンガリー事件と日本―一九五六年・思想史的考察

「君の涙、ドナウに流れ」に触発されてすぐに注文したこの本が年末にとどいたのですぐに読んだが、日本思想史としてもナショナリズム論としても非常に重要な問題提起をしていることに驚いた。再版されてからも既に数年が経過しているので、いまさら取り上げるのも不勉強をさらすようなものだが、これも年末から正月にかけて読んだ大澤真幸ナショナリズムの由来』から読み取れる論点とも重要なかかわりを持っているように感じたので、とりあえずこの本について簡単に触れておきたい。

 著者は講座派マルクス主義の強い影響下に思想を形成したと後書きで触れているのだが、そこから抜け出ようという苦闘の表れか、講座派知識人のハンガリー事件への対応には徹底して厳しい姿勢をとっている。私見では本書におけるこの講座派マルクス主義およびそれを指導理論として抱く日本共産党への批判こそ、社会主義ナショナリズムとのかかわりという問題について、いまだアクチュアルな意味合いを持っている。

 日本共産党、特に宮本顕治をはじめとした党内の主流派が、ソ連の介入を支持する立場からハンガリー事件を反革命と断じ、徹底的に冷淡な態度を取ったこと、およびそのような党の姿勢への絶望から多くの離反者、いわゆる新左翼が誕生することになったことはよく知られている(らしい)。もちろん、現地点からそのような共産党の冷淡さ、ソ連盲従の姿勢を批判することは容易である。

 しかし、少しでも講座派の理論構成をかじったものものなら、ここに少々複雑な問題が潜んでいることに気づくはずだ。言い換えれば、問題は必ずしも日本共産党(の主流派)が対ソ盲従であったから、ハンガリー事件を反革命と断じるという「誤り」を犯したのだ、というような単純なものではなかった。それは、当時においてもハンガリー人の抵抗に共感を寄せる勢力が党内においても一定程度存在していた、というだけのことではない。小島氏も指摘しているように、講座派はその理論構成上、もともとかなり民族主義的な傾向を強く持っており、だからこそ戦後の反米ナショナリズムの機運の中で知識人層の間に一定の支持基盤を築くことができたという事情があった。講座派が日本社会における「半封建制」の残存をことさら強調し、「ブルジョア民主革命」を経た二段階革命を戦略とする以上、欧米における「先進的資本主義」とのずれ、すなわち日本の「特殊性」に敏感にならざるを得ないからである。戦前、平野義太郎のような大アジア主義の論客が講座派から誕生したことからもそのことは明らかであろう。

 しかし、そこで一つの疑問が生じる。そのように本来民族主義的傾向が強かったはずの講座派に導かれた日本共産党およびその同伴知識人たちが、「君の涙―」で散々描かれたハンガリー事件の民族主義的側面―ソ連の衛星国として自主性を奪われていたことに対するマジャール人たちの抵抗―に対してなぜあれほど冷淡な姿勢を取れたのだろうか?

 小島氏は、講座派が上記のような民族主義的な傾向を強く持ちながらも、「民族」の持つ特殊的・個別的要素を「純粋社会主義」の発展モデルからの単なる「逸脱」「タイムラグ」としてみるという、一種の単線史観あるいは「決定論」的姿勢に陥っていったところにその原因を求めている。一般的に、このような決定論的な姿勢は、あるべき「理想」に向かって進んでいるはずの実際の人々の固有の動機や苦しみを軽視する傾向がある。ハンガリ事件を「反革命」と断じた日共系の知識人や政治家たちが事件の原因を「マジャール人民度の低さ・野蛮性」に帰しているのは象徴的である。

 そしてそれを乗り越えるべくスタートしたはずのニューレフトの側にも、社会主義への道のりの「多元性」をあくまで追求しようとした大池文雄のような論客は決して主流の位置を占めることができず、後に革マル派を形成した黒田寛一に見られるように結局のところ決定論的思考から抜け出ることはできなかった、というのが小島氏の評価である。民族の特殊性・個別性を価値多元論の観点から積極的に評価する議論を展開したのは、むしろ津田左右吉や梅棹忠男といった非左翼の知識人であった。この点で、たぶん直感的な共感のレベルを出るものではなかったろうが、中曽根康弘ハンガリー事件に強い関心を持ち、ブダペストを訪問するエピソードが引かれているのは実に印象的である。

 以上のような小島の分析にはほとんど異議はない。だが、そこからあえて大風呂敷を広げるなら、このような講座派ならびに日共の錯誤は、普遍思想の実現が、現実には個々の国々の民族主義によって担われるほかはない、という近代特有のパラドックスから社会主義という「普遍思想」も無縁ではなかったこと、そして社会主義の信奉者(=左翼)の多くが、その批判者たちに比べてもそのパラドクスに関して徹底的に無自覚であったこと、から必然的に生じたものだとは言えないだろうか。

 大澤真幸は『ナショナリズムの由来』の中で、ナショナリズムの生成が近代における普遍的な価値観の流布と不可分の現象であるということを繰り返し述べている。彼の主張を僕なりに理解しなおすと、次のようになるだろうか。普遍的な価値観が世界を覆おうとするときに、世界の中で特殊でかけがえのない「われわれ」が、「特殊」さを失わずに、いや「特殊」であるからこそ、普遍的な価値観を体現している(あるいはすることが可能な)のだ、と主張すること、それこそが近代的なナショナリズムに他ならない。それぞれの「特殊性」を相互に承認しているように見えながら、実は普遍的な価値観の実現を目指して常に優等生の座を争っている、というのがこのようなナショナリズムの特徴である。そのように考えたとき、「理想の社会主義」という普遍主義的なゴールを目指す民族主義者、の典型ともいうべき日本共産党が、そのゴールからから「より大きく落ちこぼれた」マジャール人ナショナリズムに冷淡で、その抵抗に「反革命」のレッテルを張ったことは、むしろ当然のこととして考えられるのではないだろうか。

 もちろん、自分達が特殊でかけがえのない(「とてつもない」!)存在だという認識に立った上で、普遍的な価値観の元での優等生争いに人々を駆り立てようとする勢力は、現在においても後を絶たない。その意味でこの本が提起した問いは今なおアクチュアルなものだと考えられるのである。