梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

優等生だったはずなのに・・

岩波新書は新赤版になってから重量級の作品が増えたような気がするが、この1冊も新書とはとても思えない内容のヘビーさ。というか新書で紙幅が限られているので余分な説明がそぎ落とされているせいか、僕なんかは3回最初から読み直してようやくだいたいの内容が頭に入った始末。このような本格的な啓蒙書と、20分間くらいで読めてしまいそうなカジュアル本と同じ「新書」というカテゴリーでくくってしまってよいのだろうか、というのはひとまずおいとくとして・・

 本書の特色をあえて言うなら、「条約と国際法」の解釈をめぐるすれ違い、という観点から1930年代前後の日中関係の複雑さおよび戦争にいたるロジックを読み解いたところにある、ということになるだろうか。特に印象的なのは、張作霖爆殺から満州事変さらに日中戦争支那事変)に至るまでの直接軍事行動を当の日本軍は一貫して「報償」「復仇」としてとらえていた、という記述だ。つまり、日本の満蒙に対する「特殊権益」はきちんと国際的な協定や条約で認められたものであるのに、中国側がそれを全然尊重しないばかりか邪魔ばかりする(ボイコットとか自前の鉄道の建設とか)ので、日本は正当な権利の行使として武力を用いてそれらを排除するのだ、というロジックである。

 実は当時の日本においては、軍だけではなく政府(外務省)の中にも、そして世論にもこのような「無法者」である中国に対する優越感の混じった被害者意識がかなり強固なものとして存在していた。しかし、その被害者意識の根拠となるはずの、満蒙に対する日本の「特殊権益」が具体的に何を指すのか、あるいはそれがどのような根拠でどの程度国際的に認められているのか、ということに関しては政府と軍の間はもちろん、それぞれの内部においてもさまざまな解釈が存在していた。その背景には第一次世界大戦後のワシントン体制の成立とその揺らぎ、北伐を開始した国民党政権に対する列強諸国の承認と関税自主権の付与などといっためまぐるしい国際情勢の変化の中、日本の「特殊権益」に対する国際社会(列強諸国)による承認は次第に自明なものではなくなっていたということがある。不確実な状況に対する解釈・判断の違いは当然その「解決法」をめぐる意見の違い、いや混乱を生む。かくしてもともとあくまでも国際法や条約を根拠に「特殊権益」を守ろうとしていたはずの日本が、ついには自ら国際連盟を脱退する羽目になってしまう。しかも、その際積極的に脱退論を唱えたのは、松岡洋右のような政治家ではなく、むしろ専門外交官たちの方であったという。

 「無法者」中国に対する優越感の混じった被害者意識とか、一生懸命国際情勢についていこうとしていたはずなのにいつの間にか自分だけハズレ者になっていたとか、現在・将来の日本外交にも示唆的な点が多そう・・とあんまり短絡的に論じると怒られそうなのでこの辺で止めておこう。とにかく読み終わってから自分の基礎知識のなさを痛感し、参考文献としてあがっている本を少しでも読んでみなくちゃ、という向学心をかきたてられたことは間違いない。それらの参考文献の著者には、僕の知っている人たちの名前が多いことだし。