梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

内需が増えそうにみえてやはり増えそうにない件について。

 書生さんのコメントへの返事にも書いたのだが、どうも最近の中国については重要な変化が立て続けに決まっているにもかかわらず、変化が早杉なのと情報量が大杉なのとでだれもその全体像を把握できていない、と言う状況にあるような気がして仕方ない。まあ、ぼちぼちない知恵を絞って考えていきたいと思います。

 今回調査に行ってきたのは数年前に何回か訪れた四川の小都市(県城)と農村である。初めに訪問した時はまだ成都から高速道路が開通していなくて列車に6時間ほど乗って移動しなければならなかった。次の年には高速道路が完成していて車で3時間ほどで着くようになった。そして今回約3年ぶりに訪れてみると、古い県城から約40キロ離れたところ、高速道路を降りてすぐの場所に新たな「まち」が建設されていた。着工がはじまってから4年ほどというその新しい県城は、きれいに整理された区画に無機質な感じのハコモノ庁舎とマンションが整然と立ち並んでおり、まさに「ニュータウン」と呼ぶのがふさわしい「まち」になっていた。あまりにも従来の「四川の小都市」とかけ離れたその「まち」の雰囲気にとまどいつつ、こりゃなにかえらいことになりつつあるな、という思いを強くしたものだ。

 このような「ニュータウン」の建設が可能になったのはもちろん、政府が内陸部・農村重視の政策に転じたことによってこれらの地域に多額の補助金が下りるようになったからである。特にモデル地区というわけでもない・典型的な内陸部の県なので、似たようなことがあちこちで起きているのだろう。こうした近年の農村建設にあたっては韓国のセマウル運動を参考にしているとか言う話もあるが、日本で言えば田中内閣時代の列島改造計画の下で地方に起きていた変化がもっとも近いだろう。

 前に書いたことを思い出しながらこういう状況だけ見ると、中国はこのまま本格的に内需拡大路線に踏み出しつつあるようにあるかのようにも思える。しかし、実際にはそう話は簡単ではない。なにしろ、その県全体の労働力状況はと言うと、出稼ぎ比率が労働力人口の少なくとも半分以上に達しているというのが実情なのだ。

 このようなニュータウンの建設に投じられた膨大な財政資金が実際に内需の拡大につながるためには、まずそこに人が住んで仕事をし、消費をしなければならない。しかしより多くの収入を求めて都市に出稼ぎに出て行った農民達が、故郷に立派なニュータウンが出来たからといっていそいそと帰ってくるかどうか?というとそれはかなり疑問である。もともと農業以外にたいした産業もないこの「まち」で、大都市での収入に匹敵するような就職先が見つかるかどうかは全く保証されていないからである。だいたい地元の役人たちの話聞いても、どうやって出稼ぎ者を呼びもどそうか、なんてことは全く考えていないみたいだし。

 今の中国の農村で起きていることはかつての日本の列島改造計画と似ている、と書いたが、両者の最も大きな違いは、その是非はともかく列島改造計画をおこなった田中角栄には明確なビジョンがあったのに対し、中国の場合は恐らく誰もそのような明確なビジョンを持たないまま財政資金の投入とインフラ建設だけが行われている点だろう。繰り返しになるが、このような農村建設の意味合いは、すでに都会に出て行った人口を農村に呼び戻すのか、それとも出稼ぎ先に定住させるのか、というどちらの方針をとるかによって180度変わってくる。しかし、どうも肝心のそこのところの議論がすっぽりと抜け落ちているようなのだ。

 しかし、たとえば増田悦佐『高度経済成長は復活できる』asin:4166603892、いやそうでなくても中国のこれまでの歴史を振り返ると、「国家」がやろうとすることに下手に明確なビジョンなどないほうがいいのではないか、という気もするのも確かである。開発計画が中途半端でちぐはぐであればあるほど、いったんまずいとなったらそこから引き返すのも容易である。今までせっせと補助金をつぎ込んでいたところをばっさり切り捨てればいいだけの話だからだ。そして、そのことを一番よくわかっているのが、実はにわかに増えた補助金で潤っている当の農村の役人や農民達なのではないだろうか。僕にはそんな気がしてならないのだが。