梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

さらにしつこくフェアトレードについて語る(下)。


 これは前回前々回のエントリ、の続きです。

また、以下の関連エントリもご覧ください。

http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20061123
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20061125
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20061127

 正直言って今回はあまり自信ないのでツッコミを歓迎します。

 さて、前回はフェアトレードの認証ラベルがより高度な品質を保証する認証ラベルに対する「脅威」となる可能性について論じた。最後に、フェアトレードの根幹ともいうべき価格保証制度の経済学的な根拠と、その問題点について考えてみよう。

 言うまでもないことだが、価格体系をゆがめる個別産業への補助金や最低価格保証は経済学的には最も評判のよくない政策の一つである。それよりも、貧困ラインを定めて所得がそれを下回る家計に対して差額を補填したり、フリードマンの唱えた「負の所得税」のような制度を導入したほうが貧困対策としては望ましい、というのが経済学者の一般的な見解だろう。
 ただ、これらの所得保障制度は、その実施に当たって、ミーンズテストなど受給資格者を絞り込むためののターゲッティングを厳格に行う必要がある。そうしなければ本来所得が貧困ラインを上回っている家計も所得を過少申告して所得保障を受け取ろうとするインセンティヴが生じ、財政支出が際限なく膨らむばかりか、人々の勤労意欲も失われるからだ。しかし、多くの途上国において、政府がそういった厳密なターゲティングを実施することは政府の能力の点からも制度の面からも大変難しい。

 そこで開発経済学では、そのような政府によるターゲティングの問題を回避する援助の方法として、「ワークフェア」が推奨されてきた*1。「ワークフェア」とは、政府が貧困層に直接所得保障を行うのではなく、公共事業などを行って貧困層を優先的に雇用し、貧困から抜け出すのに十分なだけの賃金所得を保証するというものだ。このようなやり方が援助の方法として優れているのは、援助を行うべき「貧困層」を特定化するターゲティングを政府が行う必要がないことだ。たとえば、政府が行う公共事業における賃金所得を、非貧困層の平均的な賃金水準よりは低く、ターゲットとすべき貧困層の平均的な賃金水準よりは高く設定しておけばよい。こうしておけば、本来援助を行うべきではない非貧困層にとって、所得水準を偽って申告し政府の雇用創出プログラムに参加することの魅力が存在しないので、自然と援助の対象が貧困層に絞られることになる。この仕組みを「セルフ・ターゲッティング」という。

 さて、国際的なコーヒー市場の状況にかかわらず、1ポンド1.2ドル前後という買い付け価格を保証するフェアトレードは、それを「貧困援助」としてみた場合、位置づけが最も近いのがこのワークフェアなのではないか、というのが僕の仮説である。

 もちろん、フェアトレードと標準的なワークフェアには大きな違いもある。援助を行う主体は政府ではなくNGOだし、また供給される財も非公共財である。通常、たとえ貧困援助であれこういった特定の産業・農作物に対して補助金を与えることは、国内市場の需給のバランスを崩してしまうので望ましくない。しかし、コーヒーのような完全な輸出作物に関しては、そのような補助金が国内市場の需給バランスに与える影響はあまり気にしなくてすむ。また、そういった価格保証が小国の、しかも限られた地域や生産形態の農家に対して行われる場合は、世界市場における需給バランスへの影響もほとんど無視できるだろう。実際、政府がコーヒー豆の購入価格を保証している(た)国も多い。ただし、このような政府による価格保証は、その時の政府の政策(新自由主義か左派か、など)や、世論の動向、政策に影響を及ぼす圧力団体の有無などにより左右されるという意味で基本的に不安定なものである。ここに、政府による援助を補完するものとしてフェアトレードのようなグローバルなNGOによる価格保証が登場する余地がある。

 もちろん、ワークフェアの手段としてこのような価格保証が行われることには問題点も多い。「品質がどうであれ買い付け価格が同じなのでは品質を向上させようとするインセンティヴが働かないのでは?」というのがその最たるものだろう。また「買い付け価格はどのような基準にもとづいて決められるのか」という点も重要である。既に述べたように、ワークフェアは、その賃金水準が非貧困層の平均収入よりも低く設定されていることに意味があった。1ポンド1.2ドル前後という、現在フェアトレードにおいて標準的なコーヒー豆の買い付け価格は、果たして「十分に低い」のだろうか?

 以前にも少し言及したアフリカ経済研究者ロバート・ベイツの興味深い論考(Analytic Narrativesに収録)によれば、国際コーヒー機構(ICO)が1989年にコーヒーの価格調整を停止する直前の時期に設定されていたコーヒーの価格ターゲティングのレンジが1ポンド1.2ドルから1.4ドルというものであった。現在フェアトレード団体が行っている買い付け価格もこれとほぼ同水準なので、もしかしたらこのICOの過去の制度を参照しているのかもしれない。ただ問題はこのような保証価格の水準が、地域的な所得水準の違いを考慮せずに均一的に決められることだ。地域によっては(例えばベトナムなど)保証された価格が非貧困層の平均所得をはるかに上回ってしまうかもしれない。この場合は多くの人々が新たにコーヒー生産に参入するインセンティヴが生じるので、全体の生産が増えるばかりか、支払う補助金の量もどんどん増えてしまうだろう。

 また、ワークシェアによる収入保証には正当性があるとして、なぜわざわざ生産過剰の状態にあるコーヒー生産に対してそれを行うのか、という疑問も生じるだろう。公共事業を行ったり他の作物の生産に補助金を出したほうがいいのではないか?しかし、公共事業を行うにしても政府が財源不足だったり、本当に必要な公共財が提供されるのかどうか、という問題がある。また、転作を奨励するためコーヒー以外の作物に対して価格保証を行うにしても、価格保証が有効な、すなわち価格が世界市場で決められていて、しかもその地域の風土に適した作物が果たしてコーヒー以外に見つかるのか、という問題がある。もちろん、転作にはリスクが存在するので、その負担の問題も考えなければならない。

 ・・このように考えると、一般的に貧困層が集中しているコーヒーの小規模生産者に対して価格保証を行う、というフェアトレードの戦略は、セカンドベストとしてはある程度やむをえない選択なのかもしれない。ただし、それが経済学的に正当化されるためには、しつこいようだが、その買い付け価格がその地域の経済状況からみて高すぎないこと、および生産者が貧困から脱したら、より付加価値の高い品種や別の作物の栽培への転作、あるいは起業をするなど、(低品質の)コーヒー生産とは別の手段によって生計を立てていくことが望ましい、というメッセージを明確に打ち出すことがが必要になってくる。それによって(低品質の)コーヒー豆のこれ以上の過剰生産を防ぐ事が可能になる。

 さてこの辺で、これまでの議論をまとめよう。結論から言うと、世界的なコーヒー価格の現状や多くの零細なコーヒー農家のおかれた経済状態を考えた場合、フェアトレードがコーヒー買い付けに対する価格保証を実施することには一定の意義がある、と考えられる。しかし、それが本当に今後も「持続可能」であるための条件として、あえて次のような「提案」をしてみたい。

1.コーヒー豆の標準買い付け価格が「高すぎる」ことがないよう、地域の実態に合わせてもう一度見直すこと。
2.コーヒー農家が他の作物への転作や、起業など農業以外の生活手段を選択できるよう常にサポートすること。
3.「フェアトレード」だけでは必ずしも高品質は保証されない、というメッセージを消費者におくること。

・・どれも、現在のフェアトレードの支持者には非常に嫌われそうな提案だ。これでは、フェアトレード自体に少しも「理想の農業取引の形態」というニュアンスが感じられないではないか?結局コーヒー生産者は貧しいままでいろ、と言っているのとどこが違うのか?

 おそらくこの疑問は半分は正しく、半分は間違っている。コーヒー農家の生活のレベルを上げるような農業支援は必要だ。ただそれはフェアトレードで行われているような一律の価格保証の運動ではなく、例えばRAのような厳しい品質基準と技術・信用供与を組み合わせた別の支援システムが担うべきなのだ。フェアトレードが行っているような価格保証は、あくまでも貧困から抜け出せない最下層のコーヒー農家がより上のステップに移るための「つなぎ」として位置づけるべきで、逆にそうすることによってグローバルな貧困支援策としてより広がりを持っていく可能性があるのではないか、と思う。

 僕は、現行のフェアトレードの最大の問題は、価格保証制度そのものというより、あたかもそれが理想の農業生産・取引の形態であるかのようなイメージを振りまいている点にあると思っている。それはこれまで運動を普及させるためにはやむをえなかった戦略かもしれないが、今後運動が世界の貧困問題により本質的な取り組みをするうえでは、そのイメージがかえって足かせになっていくのではないだろうか。例えばフェアトレードの認証が中途半端に「ブランド」化することにより、品質基準を厳しくせざるをえなくなり、本当に援助が必要な最貧層のコーヒー農家がかえってその恩恵を得られなくなってしまう可能性もあるからだ。
 いずれにせよ、先進国のエゴによって農産品の市場価格が大きくゆがめられたもとで「公正な貿易」を実現しようと言うフェアトレードの理念には大きな意義があることは事実だ。だからこそ、その理念を現実に生かそうとするならば、今のうちにその問題点を徹底的に議論しておくべきなのではないだろうか。

*1:ワークフェアの基本的な考え方については黒崎卓・山形辰史『開発経済学―貧困削減へのアプローチ』など参照