梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

さらにしつこくフェアトレードについて語る(中)。

 これは前回のエントリの続きです。

また、以下の関連エントリもご覧ください。

http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20061123
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20061125
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20061127


 さて、自分でやってみてつくづく感じるのはフェアトレードをできるだけフェアに論じるということは、あちこちに目配りしなければならず骨が折れる割に、あまり達成感とかカタルシスを感じられず、さらに誰も褒めてくれないばかりか敵視さえされかねない、要するに割に合わない仕事だということだ。これが反スウェットショップのボイコット運動のように間違っていることがはっきりわかっているものを批判するのなら(それが受け入れられるかどうかはともかく)気分は楽だ。しかしフェアトレードの場合はそうはいかない。どうしても「確かにこの運動に一定の意義があることは認めないわけないはいかないけど、でも・・」「現状ではまあうまくいっているようだが、これ以上規模が拡大するとまずいんじゃ・・」などといった、アイロニカルで煮え切らない表現になってしまう。

 前回のエントリではEconomist誌の批判的な記事に対してとりあえずフェアトレードのもつ合理性を擁護してみたわけだが、改めて考えてみると現行のフェアトレードの制度にはやはり大きな問題点が存在すると言わざるを得ない。以下、特に二つの点に絞って詳しく論じてみよう。

 一つは、フェアトレード運動が、レインフォレスト・アライアンス(以下RA)のような、厳しい品質基準を満たした「プレミアム・コーヒー」の認証を行うことにより農家を支援する運動と、補完関係というより、実は緊張関係にあるかもしれない、ということである。

 フェアトレードとRAが実は仲が悪いかもしれない、といったら悪質な中傷だと受け取られるだろうか。確かにネットなどの文章(といってもほとんど日本語だが)を見る限り、両者はほとんど同じようなものとして受け取られているようだし、また二つの運動の関係者はもともと似通った問題意識を持っていた人たちなんだろうし、実際にRAと協力関係にあるフェアトレード団体もあるようだ。しかし、たとえ同じような問題意識の人々が行っていても、そのビジネスモデルの違いが次のような緊張関係をはらむ可能性は認識しておく必要があるのではないだろうか。


さて、通常のコーヒー豆の価格が生産過剰のなかで低迷しても、RAの認証を受けた「プレミアム・コーヒー」が市場でずっと高い価格で売れるのは、品質の高さに加えそれが希少価値を持つから、すなわち、厳しい品質管理を行って「プレミアム・コーヒー」の認証をうけるのは非常に難しく、どの生産者にでもできるわけではないからだ。

 もちろん、これには例えばRAなどによる認証ラベルが市場で「プレミアム・コーヒー」であることの正しいシグナルとして広く認識されていることが必要になる。しかし、ここに必ずしも「プレミアム・コーヒー」と同じだけの品質を保証しないが、多くの消費者にとって本当の「プレミアムコーヒー」と見分けがつかない、そんな「類似品」の認証ラベルが出回ったとしたら?RAの戦略にとっては大きな脅威になるだろう。

 そう。僕が言いたいのは、フェアトレードの認証こそが「プレミアム・コーヒー」にとってのそういった「類似品」になる可能性があるかもしれない、ということだ。

 もっとも、フェアトレード団体も品質基準を含めた独自の認証を行ってはいる。しかし、それは明らかに生産者が公正な収入を受け取ることに力点が置かれていて、品質については国際的な輸出基準を満たす以上の要求は特に行っていないように思える。
http://www.ifat.org/japanese/principles_jp.shtml
http://www.fairtrade-jp.org/About_Fairtrade/About_Fairtrade.html

 確かに、フェアトレードによって豊かになった結果積極的な投資を行い、実際に製品の品質を向上させた生産者もたくさんいるだろう。ただ、ここで重要なのは、そのような品質向上が、必ずしもフェアトレードの認証の統一的な条件にはなっていない、と言う点である。

 この問題を考える上で、以下の実際にコーヒー店を経営している方のコラムが大変参考になった。この方もRA認証のコーヒーに比べてフェアトレードのコーヒーは一般にそれほど品質が高くないことを指摘している(「フェアトレード」の項参照)。
http://www.horoniga.com/column/

 また、ハーフォードも指摘しているように、ネスレのような大手コーヒー会社はしばしばフェアトレードの認証ラベルを価格差別化のための手段として用いている。当初僕は、確かに消費者に対しては不誠実かもしれないが、結果として生産者のリスクを転化できるのだからそれでいいのでは、と思っていた。しかし、このような価格差別化は消費者に対して誤ったシグナルを送り、本当に高い付加価値をもった「プレミアム・コーヒー」の希少価値を下げてしまうと言う点でやはり問題だ。要するにコーヒーの違いがそれほどよくわからない多くの消費者にとって、「フェアトレードの豆は値段が高いのだから当然品質も高いのだろう」と思われてしまう可能性がある、ということだ。

 このように考えると、Economistの記事でRAの関係者がむしろ自分達の運動とフェアトレードとの差異を強調するような発言を行っているのも、よく理解できるのではないだろうか。

 このような「間違った価格シグナル」の問題は、確かにフェアトレード団体が意図的に行ったものではないかもしれない。しかし、上に紹介したコラムの書き手による次のような指摘は、やはり重く受け止められるべきではないだろうか。

ここで言う生豆の長期低迷とは並品のこと。詳しく言えば、街中にある自家焙煎店や喫茶店、レストラン、ホテル等で使用される豆であり、スペシャリティーコーヒーの価格は数年前よりもはるかに上昇している。現状で農家が生き残るためには、最高級品を作るか、ブラジルの霜災害を待つしか方法が無い。今後街中には、名前だけのスペシャリティーコーヒーが氾濫すると予想。早いうちに定義付けをしなければならない。もう混乱は始まっている。

 フェアトレード団体は、今以上に認証の品質に関する基準を上げるか、あるいは「フェアトレード=高品質」という誤解を与えるようなマーケティングの仕方を改めるか、いずれ対応を迫られるのではないだろうか(続く)。