マンキュー先生も野次馬的に取り上げているし、あちらでは結構盛り上がっているみたい。
ざっと目を通して理解したところによれば、まずサックスがScientific American誌に寄稿した論文の中で、北欧の福祉国家がイギリスやアメリカといった新自由主義の国家に比べより優れた経済パフォーマンスをあげていることから、かつて著書の中で社会主義国だけでなく福祉国家も「隷属への道」を歩むと主張したハイエクは間違っていた、と断定する文章を書いたことに端を発する。
http://economistsview.typepad.com/economistsview/2006/10/sachs_friedrich.html
それに対しイースタリーは、サックスはあたかもハイエクが全ての社会保障は不要だと主張したかのように議論を捻じ曲げていると指摘し、また黒人・移民問題を抱えているアメリカ社会の貧困問題を北欧諸国のそれと単純に比較できるのかと問うた。さらに、強力な政府による「社会計画」により国内の貧困問題を解消できる、という「設計主義」に対するハイエクの警告は、多額の援助をつぎ込むことにより「世界の貧困の終焉」が実現可能だというお前さんの楽観主義にこそ向けられているんだよ、と逆にサックスを痛烈に批判した。
http://economistsview.typepad.com/economistsview/2006/11/on_the_road_aga.html
さらにそれを受けてサックスは、自分はあくまで自由経済の信奉者であり、「社会計画主義者」だというイースタリーのレッテル張りは全く根拠のないものだと反撃する。そして、あらゆるデータを見ても北欧諸国が第二次世界大戦後高度の経済パフォーマンスと高度の社会福祉を両立させてきたのは紛れもない事実であり、この点でハイエクの予測ははっきり間違っていたのだ、という主張を再度繰り返している。
http://economistsview.typepad.com/economistsview/2006/11/sachs_versus_ea.html
・・議論の流れはまあそんなところか。この「論争」の興味深いところは、これが一見福祉国家か、新自由主義か、というありがちなイデオロギー対立のように見えて、その背景に二人の途上国に対する援助観の違いを色濃く反映している点である。
開発援助に関するこの二人の激しい意見の対立については47thさんの以下のエントリが詳しい。
http://www.ny47th.com/fallin_attorney/archives/2006/03/22-120621.php
http://www.ny47th.com/fallin_attorney/archives/2006/03/23-000817.php
またイースタリーについては僕自身も以前に少し書いたことがある。
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20060407
確かにイースタリーはサックスのような「グローバル進歩主義」に対して懐疑的だという点で、ハイエクに代表される保守主義の精神を受け継いでいるといえるかもしれない。しかし、彼はまた貧困国への援助自体は絶対に必要だ、という立場であることも忘れてはならない。(世銀にいたのだから当然と言えば当然だが)。その意味でイースタリーを果たしてハイエクやフリードマンのようなリバタリア二ズムの思想の系列に位置づけていいのか、僕にはちょっとわからない。「貧困援助に積極的な保守主義」というのは今まであまりなかったようなパターンのように思えるからだ。
そういえばイースタリーの強調する「途上国のインセンティヴを引き出すような援助」という考え方は、フリードマンの唱えた負の所得税とか教育バウチャーなどの発想に似ていると言えば言えなくもないかもしれない。ただそういった国内の政策と国際的な援助を果たして同じ次元で論じてよいのか、これもよくわからない。いずれにせよこういった論点は重要なので、関連する議論をフォローしないであまり軽々しいことは言えない気がする。
というわけで、件の「論争」の行方を見ていると、ちょっと感情的な揚げ足の取り合いに陥りつつある感無きにしも非ずだが(特にサックスの方)、できれば議論がより生産的な方向で続いていって欲しいと思う。