梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

フェアトレード運動のジレンマと意義

 前回のエントリid:kaikaji:20061123の続きです。よろしければコメント欄の「政治学者の卵さん」とのやり取りもご覧ください。

 さて、前回、フェアトレードによるコーヒー豆の買い付けに経済学的意味があるとすれば、それは「援助」ではなく「生産リスクの消費者への転化」にあると述べた。
 しかし、実際のフェアトレードによる豆の買い付けはかなり「援助」に近いものになっているように思えるのも事実である。

 もちろん、そうなっている最大の原因は、前回のエントリで指摘した世界的なコーヒー豆の過剰生産と、その結果としての価格の長期下落にある。そして、その背景には、ハーフォード、スティグリッツマンキュー、そしてボノが指摘しているような、先進国の補助金政策をはじめとしたグローバル市場における農産物の生産構造の問題がある。
 リスクの軽減によって効用水準の上昇を見込めるのは農産物価格がランダムに変化する場合であって、コーヒーのように世界価格が趨勢的に下落しつつある場合は基本的に無力である。勢い、フェアトレード団体が下落するコーヒー豆の価格を「局所的に下支えする」ような構図になるのはやむをえない。

 さらにもう一つの理由をあげるなら、フェアトレード運動の倫理的な性格に関する問題も指摘できるだろう。先進国の「意識の高い」消費者は「この製品は途上国の農民に自立可能になるだけの収入を保証しています」という表示がされているからこそその製品を買うのであって、その代わりに「この製品はコーヒー農家の直面するリスクの軽減を保証していますが、彼(ら)が本当に十分な収入を得られたかどうかはその地域の経済状況次第です」と書いてあったとしたら、いったい誰がそれを買うだろうか?
 残念ながら、ある行為に向けて人々を動員するとき、「経済学的に意味がある」という説得より「倫理的に正しい」という説得の方がはるかに有効だ、というのは厳然たる事実である。だからフェアトレード団体もコーヒー豆の買い付けを行う際には「経済学的に」ではなく「倫理的に」正しい価格で行わなければならないのである。

 さて、ネット上での情報を見る限りフェアトレードコーヒーのシェアは比較的普及しているイギリスなどでも全体の3,4%と言うところのようだ。これはいかにも少ないように思えるが、皮肉なことに「この程度の規模」だからこそ運動が持つ矛盾が露呈せずにすんでいるのかもしれない。上に書いた様にに世界のコーヒー価格が下落を続けている状況の下で、フェアトレードによるその「下支え」がもっと大規模なものになるなら、その「価格下支え」自体がさらなる生産過剰をもたらす新たな要因になるだろうからだ。

 もちろん、オックスファムのような「まっとうな」フェアトレード団体の、少なくとも上層部は僕が指摘したようなさまざまなジレンマの存在をを十分わかっているように思われる。例えばdojinさんによれば、オックスファムは近年、フェアトレード運動とともに先進国の農産物への補助金政策などをかなり強く非難するメッセージを明確に打ち出しているようだ。また、こういった団体のウェブサイトでコーヒー豆の買い付けにおいて農家と「前払いでかつ長期の契約」を結ぶといった点が強調されているのも、リスクの軽減こそが農家にとって切実な問題であることが理解されていることを示していよう。

 確かにコーヒーをめぐる状況は厳しいものだが、途上国の農業生産者の直面するリスクをグローバルな消費者が負担するためのなんらかの仕組みを作ることは有意義だと思うし、その模索はこれからも続いていくだろう。
 もともと農業は工業にくらべはるかに天候などに左右されやすい、リスクの大きな産業である。こういった農家のリスクは、伝統的には家父長的な地主の「温情」や、村落共同体の「助け合い」や、国家による価格統制などにより抑えられてきた。それらが有効だったのは恐らく、農産品の市場が局所的なものにとどまる限り、生産者の側のショックをある程度消費者価格に転化することが可能だったからである。しかし、コーヒーの例は、グローバル市場に完全に組み込まれた農産物の場合、その生産にかかわるリスクが、多くの場合途上国政府、ましてや零細な農家ではとても立ち向かえないほど深刻なものになることをよく示している。市場がグローバルなものになる以上、農業生産のリスクシェアの仕組みもまたグローバルなものにならなければ、途上国農村経済の安定的な発展は望めないだろう。

 このように考えた時、フェアトレード運動は、確かにいろいろ困難な問題は抱えながらも、いわばグローバリズムの徹底化によってグローバリズムの問題を乗り越えていくための試行錯誤の一つとして、やはりある程度積極的に評価していく必要があるではないだろうか。

 ・・とこんなところで一応まとめようとしたのだが、実はここであることに気がついた。これまでの議論では、当然のごとく「コーヒー豆の価格が上昇すれば、コーヒー農家は生産を増やすはずだ」ということを前提としていたのが、実はそうではないかもしれない!
 ということで次回はおまけとしてハウス・ホールドモデルについての自分の勉強を兼ねた説明のエントリを書きますので、これもよろしければお付き合いください。