梶ピエールのブログ

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エイドリアン・トミーネ


バークレー在住のオルタナティヴ・コミックの作家エイドリアン・トミーネ、といっても知る人ぞ知る、といった存在だろう。 彼の作風は日常のディテールや人々の感情のすれ違いを短編小説のようなタッチで淡々と描くというおよそ通常のアメコミのイメージとはかけ離れたもので、韓リフ先生いわくid:tanakahidetomi:20060531「登場人物の顔のニキビや吹き出物を淡々と見せられてる感じ」。

 彼は日系人なのだが、確かに技法的に日本のコミックから大きく影響を受けたであろうことはうかがえるものの、テーマなどからは特に「日系人らしさ」のようなものは感じられないといっていい。しかし、彼の代表作'Optic Nerve'の最新バージョンであるNo.9およびNo.10では、アジア系のアメリカ人のメンタリティが正面からテーマに取り上げられている(作品自体は未完結)。これはまだ当分日本語にならないと思うのでざっと内容を紹介してみよう。

 主人公は日系人のベン・タナカ。バークレーと思しきベイエリアの都市で映画館のマネージャーをしている彼は、やはり日系人のミコ・ハヤシと同棲している。だが、同じ日系人といっても二人の政治意識には大きなギャップがある。ミコはアメリカ社会におけるマイノリティーの生き方やアイデンティティをめぐる問題に敏感なバリバリのリベラル派なのに対し、基本的にノンポリのベンは、ときどきそういうミコの「政治意識の高さ」についていけないものを感じている。

 作品はミコが製作にかかわったその中国系の女性による映画を二人で見るシーンから始まるのだが、ミコが深く思い入れているその作品がベンには全く面白いと思えない。「あんな映画はクズだってみんな心では思ってるはずさ。それでもみんな拍手をするのはあれを撮ったのがオークランド出身の中国人女性だからだろう」などというようなことを口走ってはミコを不機嫌にさせるベン。

 ある晩のこと、ベンは隠していたエロDVDをミコに見つけられてしまう。「どうしてみんな白人女が出ている作品(さすがに「洋モノ」とは言わないらしい)ばっかりなのよ!」となじる彼女に対し、ベンは思わず「え?そんなことないだろう、ほらラテン系の女優がでているやつだってあるよ・・」などと言い訳するが、仕舞いには、「「僕はこれまで狡猾なメディアの策略にはまって洗脳された結果、ブロンドで青い目の白人女こそ魅力的だと思い込むようになってしまいました」、とでも答えれば満足なのか!」と逆ギレして彼女に'You are fucking asshole!'とののしられてしまう。
 こんな二人だから、当然関係はいつもギクシャクしている。そんな中、彼女は映画の勉強のためにニューヨークに行く決心をするのだが・・

 こんなベンの相談相手にいつもなってくれるのが女友達のアリスなのだが、彼女は韓国系であり、日本に反感を持つ両親に育てられている。何でも人種やエスニシティをめぐる政治的な問題に結び付けようとするミコのやり方を愚痴るベンに対し、アリスは次のように彼を諭す。「それはあなたが今世界で一番リベラルで多様性に富んだ街(=バークレー)に住んでいるからよ。もしあなたが今からいきなりアラバマに住むことになったら(アラバマの人、怒らないでください)きっとそういう態度は変わるはずよ」。これに対してベンも反論する。「僕がオレゴンで育ったとき、クラスで非アーリア系なのは僕一人だった。たしかに居心地の悪い思いをしたこともあるさ。だけどそれは僕の個人的な性格に起因するものだ。アジア人かどうかということは関係ない」。

 あるとき、ベンはアリスの家族の結婚式パーティに招待される。同性愛的な傾向をもつアリスは、カムフラージュのためベンにボーイフレンドのフリをしてもらうよう頼んだのだ。自分は日系人だから家族に歓待されないんじゃないかと心配するベンとアリスとの車の中の会話が面白い。「たしかにうちのおばあちゃんは日本食のレストランで食事をすることさえ嫌がるわね。でも、うちの両親にとっては私がパーティに韓国人の女の子を連れてくるよりはやっぱり日本人の男の子をつれてくる方がいいはずよ」「つまり娘がレスビアンになるよりは侵略者と付き合うほうがまだマシだってわけかい?」「どんなひどい男だってレスビアンよりはマシよ」
 「いっそコリアンの彼氏として紹介してくれないか?」というベンに対しこう答えるアリス。「確かに見た目は大して変わんないかもしれないけど、うちの家族はすぐにあんたがぶらさげてる日本人の尻尾に気がつくはずよ(My family would spot your Japanese ass a mile away.)」。
 そして結婚式場の教会で、ベンが両親に挨拶し「タナカです」とラストネームを名乗った瞬間、案の定両親の顔色が変わり、アリスとの間で韓国語での口論(ハングルで書いているので意味不明)が始まるのだった・・

 というわけでおわかりのようにベン君はヘタレ中流を絵に描いたような奴なのだが、作者は彼のことも幾分は共感をこめつつ結局は他の登場人物と同じように突き放して描いている。映画などでも描かれてることの極めて少ないアジア系アメリカ人の「内面」が、日系と韓国系の微妙な違いなどのディテールにもこだわりつつ詳細に描きこまれているという点でとても新鮮だったし、バークレー的な(?)ストレートなリベラルさに対する作者自身の距離感が比較的前面にでているのも面白いと思った。

 この作品は彼としては珍しく100ページを超える中篇になるとのことである。1年に30ページくらいしか発表されないと言う超スローペースだが、完結したらぜひ日本語版も出版してほしい。個人的にはこれを原作にして映画も観てみたいのだが・・