前回のエントリの続き。
このほか、以前からここで取り上げてきたネタに関連するものとしては、西南戦争後の不換紙幣多発によるインフレをいかに収束させ、兌換紙幣制度を確立させるか、という点に関する福澤諭吉と松方正義の間の政策論争についての記述も興味深かった(第一部第三章)。
現実には、言うまでもなく緊縮財政によってインフレを終結させ、同時に内需抑制によって生じた貿易黒字を兌換性確立のための外貨準備にあてる、という松方案が採用されるわけだが、それに対する福澤(+大隈)案も面白い。要するに、インフレを生み出している国内経済の不均衡を解消するために、銀本位制を早期導入して輸入を自由化しようというものである。ただ、これを実行するためには国内需要の超過を穴埋めする分だけの外貨(銀)準備が必要になるため、それをファイナンスするために外国からの借り入れが必要となる。
本書の中で明確に指摘されているように、この福澤・大隈案の最大の問題点は、日本が本位通貨として採用しようとしている銀の金に対する切り下げ、つまりは為替リスクの存在である。この時代にはイギリスを始め、外債を引き受けてくれるような経済大国はほとんど金本位制を採用していたのに対し、日本がとろうとしているのは銀本位制である。したがって兌換性導入のための対外借り入れは金建てで行われるため、もし将来銀が金に対して切り下がれば(その可能性は非常に高かった)、自国通貨(銀)建てでの債務は大きく膨れ上がり、返済が困難になる、というわけだ。
さて、ここで論じられている問題は、以前、アジア諸国の「ドル・スタンダード」と日本の「べナイン・ネグレクト」との関係について述べた際id:kaikaji:20060227#p1に触れた「原罪」と基本的に同じ構造をしているといっていい。そのコメント欄でも紹介したアイケングリーンとハウスマンの著書によれば、「原罪」に直面している国、すなわち自国通貨建てでの資金調達ができない国は、為替レートの変動が硬直的になり、弾力的な金融政策が取られず、国内経済が不安定になる傾向がある。要するに多くの新興工業国はドルでしか資金調達ができないために、為替リスクを恐れて自国通貨をドルにペッグするしかない、という状況が生じるわけだ。
しかし、このような為替リスクの存在を根拠とした批判に対して、福澤は次のような反論を行っている。すなわち自国通貨(銀にリンク)が債権国通貨(金にリンク)に対して切り下がる場合、確かに自国通貨建ての債務は増加するものの、主要な輸出物(日本の場合は生糸)の債権国通貨建てでの価格が下落しないようにその生産を政府が管理しさえすれば、自国通貨建て生糸の輸出総額も増加するので、なにも心配ない、というわけだ。
さすがに、現在のアジア諸国のように輸出構造が似ている国がお互いに競争している状況では、それらの国の輸出品の価格を一国だけで管理するということは不可能なので、福沢のロジックはそのままは当てはまらないだろう。ただ、それらの諸国の「原罪」や「ドル・スタンダード」の問題を考える際にも大いに参考になる議論だ、とは言えそうだ。
それにしても本書でも指摘されているが、西南戦争が終わって間もない頃にこのような経済学の正しい認識に立った高度な政策議論がなされていたことにはやはり素直な驚きを感じる。ポピュリズム政治の介入がなく、政策担当者に経済学のセンスがあれば、たとえ経済の発展段階が低くてもかくも正しいマクロ経済政策上の判断が下されうる、ということの見本だろうか。
さて、もし将来この本の続編が書かれるとしたら、そのときは間違いなく中国が重要なアクターの一角を占めるだろう。もちろん現在の中国は国内にさまざまな問題を抱えている。しかし、少なくとも現状ではポピュリズム政治によってマクロ経済政策がゆがめられる可能性はほとんどないし、また中央政府の経済官僚たちはおそらくマクロ経済学のロジック、あるいはアメリカ・日本経済の現状について実によく勉強している。これらのことは今後の国際金融の舞台において、中国にとってかなりの強みとして働いてくるのではないだろうか。