梶ピエールのブログ

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張之洞の通貨改革とその現代的意義

竹森俊平『世界デフレは三度来る』ISBN:4062820064

 各経済学ブログでも絶賛されているこの本、期待にたがわずわざわざ高い送料を払って注文した甲斐があった、というくらいすばらしい読書体験をさせて頂いたわけですが。
 本格的な書評は韓リフ先生におまかせして、こちらは落穂ひろいとしてアジア経済史あるいは現代の東アジア経済を考える上でも参考になる点をいくつかピックアップしておくことにしよう。

 いや、自分で使っておいてなんだが「落穂ひろい」という言葉はこの場合適当でないだろう。本書において日本以外のアジア諸国の経済史は決して中心的なテーマではないが、それでもアジア経済史の理解のために重要な洞察がいくつもちりばめられている、といっていいからだ。例えば世界の趨勢が金本位制に向かう中で清帝国および中華民国が伝統的な「銀使い」の経済にとどまり続けたことは中国近現代史のイロハと言ってよい。しかし、たとえその常識を踏まえていても、19世紀後半以降の金銀複本位制から金本位制へ、さらにはその崩壊と一時的な復活、という通貨制度の変遷とそれに対する各国の対応が、第二次世界大戦の悲劇にいたる背景の一つなどではなく、まさにそれをもたらした主要な要因にほかならないことを鮮やかに描き出す本書の記述には目を見開かされる思いがするのではないだろうか。その意味では、経済学の専門家だけでなく、中国その他のアジアの近現代史に関心のある人たちにもぜひ広く読まれて欲しい本である。

 さて、まずここで取り上げたいのは、第二部第一章で言及されている清末の洋務派官僚・張之洞による湖北省の通貨改革についてである。これについての詳しい記述は黒田明伸さんの本(『中華帝国の構造と世界経済』ISBN:4815802238 )にあったと思うが、本書では本来入り組んでわかりにくいはずの改革の歴史的経緯について、その経済学的なエッセンスが実に簡潔に説明されている。

 そもそも、伝統的に歴代の中華帝国では王朝がコインを鋳造してシニョリッジを得ようという誘引が存在しておらず、銀はコインではなく秤量貨幣として流通していた。またそれでは不便なので日常的な取引は銅銭でなされていたが、それらの銅銭は地域間で全く統一されておらず、さらには本位貨幣である銀との交換比率も地域によって全くのばらばらであった。要するに統一的な貨幣・金融市場が存在していないために、裁定の機会がそこらじゅうに転がっていたわけだ。このような状況では鞘取りを行う両替商が跋扈することになる。

 そんな中19世紀末に湖北省の総督だった張之洞は、偽造の困難な、信頼性の高いコインを大量に鋳造し、漢口(武漢)を中心として湖北省一体に流通させることを試み、それを通じて沿海部への財の輸出を促進し、地域経済を活性化させることに成功した。
 本書の記述で面白いのは、これを単なる地域振興策ではなく、湖北一体で流通していた銅貨の価値を下げるというインフレ政策を通じて、銀貨の流通していた沿海部に対する通貨切り下げを行ったもの、として位置づけている点である。

 ここで改革開放以降の現代中国に目を移すと、そこでも確かに地元の国有銀行が勝手に融資を拡大させ穴埋めは中央銀行からの借り入れで行うという、いわば中央のコントロールを離れた地方独自の金融政策がしばしば実行に移されてきた。しかし統一された通貨制度の下でそれをやっても結局はインフレを拡大するだけで必ずしも地域の振興にはつながらない。同じやるなら他地域に対する通貨の切り下げを伴わなければ意味がない・・ということは以前にも述べた(id:kaikaji:20050415)。張之洞という人は100年前にそれを実行したわけである*1。ただし、彼自身の最終的な目標はあくまでも統一的な通貨制度の実現にあったのだが。

 もちろん、こういった「地域通貨の切り下げ」政策は現在ではもう不可能である。しかし、一国の中に経済の発展段階や生産手段の需給状況が異なる地域が混在しており、本来は地域ごとに異なった金融政策を割り当てるのが最善かもしれない場合がありうる、という状況は恐らく100年前とあまり変わっていない。こういう国と通貨制度を統一するということが一体どういうことを意味するのかよく考えてみよう・・というのも上記のエントリですでに触れたことなので繰り返さない。

 いや、bewaadさんもおっしゃっているように、この件については「微力ながらしつこく言っていく」ほうがいいのだろうけど、この問題についてはまた改めて、別の視点も含めてちょっとじっくりと考えてみたいと思っている。
 というわけで次はやはり竹森本の別のネタについて(続く)。

*1:もっとも、こういった貨幣政策自体には中国では2500年以上の伝統がある。http://bewaad.com/20050226.html