梶ピエールのブログ

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べナイン・ネグレクト再考

 今更ながら、韓リフ先生の『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』ISBN:4062132605 (以下、バーナンキ本)は僕のように日本やアメリカの経済についてきちんと体系的に勉強したことのない者にとって断片的な知識を整理するうえで非常にためになる本だ。この本についてはすでに多くの経済系ブロガーの方々が取り上げているし、アマゾンレヴューでも竹中平蔵さん(本物?)をはじめとして好意的な書評がいくつも投稿されているので、内容について屋上屋を重ねるのはやめておこう。

 ただ、この本をきっかけにしていくつか自分なりに膨らませたいと思っているトピックがある。一つはマクロ経済政策提言を行う際の動学分析と静学分析の使い分けみたいな話で、要はIS-LM分析の再検討をバーナンキや例のスティグリッツ=グリーンワルドによるその修正バージョンの比較などを通じてやってみたい、というようなことを考えているのだが、これは本来自分の手に余るようなテーマだし帰国する前にちょっと手をつけれれればいいかなと思っている。
 で、もう一つ自分の専門的な関心から非常に気になっている問題があって、それが第4章の終わりで触れられている円高シンドロームが日本経済に及ぼした影響とその処方箋について、である。

 円高シンドロームについては何度もこのブログで取り上げてきているが、なぜこれにそんなにこだわるのかということについてはとりあえず過去のエントリを参照してください(ただしリンクされているbewaadさんのエントリも合わせてご参照ください)。ちゃんと勉強したい人は円高シンドロームやマッキノンの所説に関する優れたまとめであるバーナンキ本の記述をぜひ読んでください。

 そのマッキノンは、大野健一との共著『ドルと円』ISBN:4532131545 やその近著(Exchange Rates Under The East Asian Dollar Standard: Living With Conflicted Virtue ISBN:0262134519)の中で、長年の「円高シンドローム」のもとで強固に形成された円高期待とその結果もたらされた「流動性の罠」の下では、日銀単独での金融緩和や円高誘導はもはや効果を持たないとし、日米間で為替水準安定のための政策協調を結ぶ必要を強調している。これに対し、韓リフ氏はそのような政策協調が「可能ならばぜひ実行して欲しい」としながらも、合意決定にかかるコストのことを考えれば、その実現に過度の期待をかけるべきではなく、日銀も為替レートを市場に任せて国内の金融緩和を第一に考えるいわゆる「べナイン・ネグレクト」の態度をとることによって単独でもデフレからの脱却を図ることが可能だ、と結論付けている。

 ・・というわけでようやく本題に入るわけだが、日本がこの「べナイン・ネグレクト」政策をとることができるかどうかということは日本だけではなく東アジアの通貨・金融秩序にとって非常に大きな影響を与えると考えられるので、この点をもう少し突っ込んで考えてみよう、というのがそもそものこのエントリの主旨である。

 まず、「べナイン・ネグレクト(慇懃な、あるいは丁寧な無視)」という言葉について。これは、従来もっぱらアメリカの金融政策を指すものとして使われてきており、そこにはドル基軸通貨体制のもとでアメリカのみが政策的に為替レートの調整を行う必要から解放され安定した金融政策の運用を行ってきた、というニュアンスがこめられているようである。これを日本に当てはめる場合はこの「基軸通貨国としての位置づけ」というニュアンスは失われるが、とりあえず「為替レート水準を政策目標にせず(成り行きに任せ)、国内経済の安定を図るための金融政策の実施を優先する政策的立場、と理解しておこう。
 さて、この「べナイン・ネグレクト」をめぐってマッキノンと韓リフ氏との間で意見の対立が生じているわけだが、より詳しく見るとそこには次の二つのレベルの問題が存在しているように思われる。すなわち、

1.そもそも日本が「べナイン・ネグレクト」を実行することは可能か。

2.「べナイン・ネグレクト」の実行が可能だとして、それが政策的に望ましい結果をもたらすかどうか。
 2.についてはさらに若干の説明が必要だろう。「べナイン・ネグレクト」が可能であるにも関わらず、それが望ましくない結果をもたらす可能性とは何か?それがマッキノンの近著の主要テーマである「東アジアにおけるドル・スタンダード」の話とつながってくる。すなわち、日本が「べナイン・ネグレクト」による円安・景気回復のレジームを単独でなしえたとしても、他の多くの東アジア諸国が依然として自国通貨をかなりの比重でドルに連動させている状況のもとでは、それらの国々の通貨が相対的に割高になり、深刻なデフレ圧力として働く。そして近隣諸国の不況は貿易面で深いつながりを持つ日本にも跳ね返ってくるだろう・・というものだ。
 だったら、近隣諸国も「ドル・スタンダード」をやめりゃいいじゃないの、ということになりそうだが、それがそうはうまくいかない、というのがマッキノンの主張のポイントである。ごく簡単にその理由に触れておくと、国内の長期金融市場が未成熟で、成長のために海外からの資金輸入を必要とする多くの東アジア諸国では、長期債務のほとんどをドル建てで行わなければならないという、専門家の間で「原罪(Original Sin)」とも呼ばれている状況にある。この状況の下では対外債務の大きな変動を意味する自国通貨の対ドルレートが大きく変動することはリスクが高すぎて出来ない、というわけである。

 というわけで、上記の2.についてはさらに

2a. 他の東アジア諸国も(日本と同じように)ドル・スタンダードを脱して「べナイン・ネグレクト」を実行することが可能か?

2b. 東アジア諸国が「ドル・スタンダード」から脱することが出来ないのはやむをえないならば、それでも日本単独で「べナイン・ネグレクト」を実行したほうがよいのか?

 という二つの問題に分解できるだろうか。2b.の問題は、円ドルレートが大きく変動することによるデメリットと、日本が単独で金融緩和を行うメリットを比較検討するということを意味するだろう。

 さて、マッキノンの立場は1.については「不可能」また2a.についても「不可能」というものであり、したがって「べナイン・ネグレクト」ではなく日米政策協調を、という結論になるわけである。で、僕自身の暫定的な考えは、1.については「可能」(というかこれなどに顕著なようにマッキノンの議論が日銀の自己弁護に対する権威付けに使われているという状況は非常に問題だと思う。実際には日銀が単独でやりうることはいろいろある、という点に関しては韓リフ氏の主張に全面的に同意する)であるが、2.の点についてはマッキノンの言っていることにかなりの説得力を感じる、というものだ。

 もちろん、日本が不況に陥ることはそれ自体東アジア諸国の経済にマイナスの影響を及ぼすので、深刻な不況に見舞われたとき為替レート安定より金融緩和を優先させるべき局面は生じうるだろう。ただし、その場合にはむしろアメリカというより東アジア諸国との間に何らかの政策的な合意形成が必要になってくる(すなわちその場合でも完全に「ネグレクト」とは行かない)のではないだろうか。

 また、そのように政策協調をオプションとして考えるのであれば、

3.各国の金融政策の自由度をできるだけ縛らない政策協調は可能か?
 という問題も浮上してきそうだ。当然マッキノンはこの点を肯定的に考えているわけだが、現実的かつ具体的な方法はとなるとなかなか難しいのかもしれない。

 以上、最後の方は僕自身考えが整理できていないのですっきりしない結論になってしまったが、とにかく「べナイン・ネグレクト」を主張する議論は構成として非常にすっきりしており、また実行可能性と効果の点からも魅力ある政策だが、その実施にあたっては他の東アジア諸国経済に与える影響についても一定の検討を行う必要があるのではないか、というのが僕なりの問題提起である。もちろん、以上の議論には僕が「中国屋」「アジア屋」であることのバイアスも入っているかもしれない。韓リフ先生を始め、さまざまな方からの建設的批判をぜひ頂戴したいところである。