梶ピエールのブログ

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メモ

柄谷行人氏によるネグリ=ハート『マルチチュード』の書評

ネグリとハートは、マルクスのいうプロレタリアートは労働者階級のように限定されたものではなく、マルチチュードにほかならないという。初期マルクスの考えは確かにそのようなものだ。その意味では、本書は『共産党宣言』(一八四八年)を現代の文脈に取り戻そうとする試みといえる。すなわち、帝国(資本)対マルチチュードプロレタリアート)の世界的決戦。
しかし、このような二元性は、諸国家の自立性を捨象する時にのみ想定される。こうした観点は神話的な喚起力をもち、実際、それは六〇年代には人々を動かしたのである。とはいえ、私は、このような疎外論的=神話的な思考をとるかぎり、一時的に情念をかき立てたとしても、不毛な結果しかもたらさないと考える。グローバル資本主義(帝国)がどれほど深化しても、国家やネーションは消滅しない。それらは、資本とは別の原理によって存在するのだから。

結構、まともなことを言っている気が。