梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

Potluch Party

 今日はUCBのInstitute of East Asian Studiesのポトラック・パーティ(持ちよりパーティ)があったので、早起きしてちらし寿司(といってもちらし寿司の素をご飯に混ぜただけであるが)を作って参加した。前にも少し書いたかと思うがこのInstituteはその下にChinese Studies, Japanese studies, Korean Studies,それにSouth East Asian StudiesにBuddism Studiesという5つのCenterを抱えているので、こういうパーティとかレセプションがあるといろいろな国の人が参加するのだが、今日はざっとみたところなぜか韓国人の参加者がほとんどいなかった。そのためせっかくの持ち寄りパーティなのに韓国料理をまったく食べることができなかったのは少し残念。

 その席で、やはりvisiting scholarとしてUCBにやってきているかなり年配のカナダ人の共産党史研究者と知り合いになった。いい機会だとおもって、チアン=ハリディの『マオ』について話を振ってみたところ、彼は即座に顔をしかめて、「あれはよくない本だ。実証がなっていない(terrible)」と吐き捨てるように言い放った。それ以上突っ込んで話を聞くことはできなかったのだが、あまりにきっぱりとした反応が印象深かったので、あえてここに記しておくことにする。
 また、こちらで知り合った日本の大学で教鞭をとっている中国人研究者(ただし政治も歴史も専門ではない)にこの本の出版について知っているかどうか尋ねたところ知らないということだったので、でごく簡単に内容を紹介した上で「たとえば百団大戦のような共産党主導による日本軍への攻撃について、毛沢東は兵力が消耗するという理由で最後まで邪魔しようとしたと書いてあるんだけど」という話をした。すると「彭徳懐は単純な人だから確かに日本軍と戦うことを第一に考えただろうが、毛沢東が日本軍と国民党軍がお互いにつぶしあってくれれば好都合だと考えていたというのはむしろ常識に属するのじゃないのか」みたいな反応をされて、こちらのほうが少し驚いてしまった。しかし、現実は案外そんなものなのかもしれない。もちろん世代や留学経験による違いも大きいだろうけど。