梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

「日本病」の克服と内需拡大政策について

  昨日のエントリに関して、bewaadさんから大変参考になるツッコミをいただいた。論点を乱暴に一言でまとめてしまうと、僕が「中国においても構造改革路線とリフレ政策や財政出動を重視する路線は対立するのではないか」と述べたのに対して、bewaadさんの考えでは「中国ではその二つは矛盾しないはずだよ」ということになる。さて、この意見の違いはどこから来ているのだろうか。僕の最初のエントリが説明不足だったことに起因している部分もあると思うので、まずもう少し丁寧に「日本病」「円高シンドローム」「人民元改革」などをめぐる議論を整理してみたい。

 さて、まず中国国内で将来の中国経済がその轍を踏むことを危ぶむ声があがっている「日本病」の内容であるが、これは大略次のようなものだと理解できる。

ア.貯蓄率が高く、外需依存型の経済構造の下で高い成長率を達成
イ.対アメリカの貿易黒字が拡大、「不均衡」の是正を求められる
ウ.ドル高是正の合意→以後一貫して円高が続く→慢性的な円高期待が形成される
エ.円高を抑えるため低金利政策続く→国内資金が資産市場に向かう→バブルの発生
オ.バブル崩壊→不況
カ.低金利政策のため金融政策の選択肢狭まる→不況長引く

 この内ウ、からカ、までがいわゆる「円高シンドローム」として理解されているものなので、一応「日本病」という言葉が使われるとき、「円高シンドローム」に陥る可能性も含まれていると考えていいだろう。

 そのことを前提とした上で、僕がまとめた「日本病」への処方箋である

1.内陸部・農村開発による内需の拡大
2.引き締め政策の持続による高金利・元高誘導
 についてもう一度検討してみよう。まず、2.の路線について、bewaadさんは、結局「円高シンドローム」の轍を踏むことに他ならない、と批判している。この点については、どうも僕の説明が不十分だったようだ。2.の論者の主張をより詳しく見た場合、次のようなものとして理解できるだろう。

・現在の中国経済は高成長を続けており投資効率も高いはずなのに金利水準が非常に低く、資本市場にゆがみが生じている。
・このため「円高シンドローム」に陥った日本のように非常に資産バブルを招きやすい状況になっている。このまま人民元改革が進めばまさしく「元高シンドローム」が現実のものとなりかねない。
・これを防ぐには、早い段階でまず金利を適正な水準まで引き上げ、国内資本市場のゆがみを是正し、金融政策のフリーハンドを確保すべきである。
・上記の金利改革に伴い、元高が進行していくのはやむをえない。

 このロジックが「円高シンドローム」のウ.からカ.までの流れとは根本的に異なっていることは明らかだろう。「円高シンドローム」では、貿易不均衡是正のための為替レート調整を金融政策の目標として設定したため、金利がその従属変数となってしまったのに対し、本来の2.の主張は、そのような事態を避けるために、まず国内経済の状態に合わせて金利を適正な水準に設定したうえで、金融政策はあくまでも国内の景気・物価安定に割り当てていくことをめざす、というものだと考えられる。これはbewaadさんが考える望ましい金融政策のあり方と全く一致するし、だからこそ有力なエコノミストもこの路線を支持しているのだと思われる。

 また、1.の「内需拡大政策」ついても、もう少し詳しく論じる必要があるだろう。財政を出動した内需の拡大が、bewaadさんの指摘するように「円高シンドローム」への対策としてはかなり有力なものであるとして、問題になるのはその具体的な中身だろう。

 まず、財政資金投入による「内需拡大」政策が国内資源の望ましい配分をもたらす例としては、次のようなものが考えられるだろう。

1a.戸籍制度の段階廃止と都市インフラ・社会保障制度の拡充を通じて、現在の内陸・農村部の余剰人口を都市部にスムースに吸収できる仕組みを作り、都市化の進展によって内需の拡大を図る。
 発動される「内需拡大策」がこのようなものであるならば、投入される資金の効率性もおそらく高く、また労働力の最適配分という点からも望ましく、さらに元高圧力もかわせる、というように一石三鳥くらいの効果があると考えられる。
 ただ、実際には、さまざまな障壁があるためこのような政策がとられる可能性はあまり高くない。まず、これは内陸・農村からの労働移動を事実上「解禁」することに他ならない。そして一旦「解禁」となった場合、実際の労働力移動の規模が政府の制御可能な範囲に収まるという保障はどこにもない。むしろ、制御不可能に陥る可能性が非常に高いだろう。また、その結果都市部にあふれる流動人口を「人的資本」としてスムースに受け入れるための都市インフラの建設と社会保障費の支出はどの程度になるのか?これはちょっと想像がつかない。
 この政策が非現実的なもう一つの理由としては、地方幹部の大きな抵抗にあうだろうということだ。労働力の大規模な沿海都市部への流出が現実のものとなった場合、財政収入や民間の投資の大幅な減少に見舞われることになる地方は、ますます厳しい経済運営を余儀なくされるだろう。また、大量の流動人口を受け入れることになる地方も、治安の悪化や公共サービスの提供に頭を悩ませることになる。そういう意味で、「戸籍制度の改革にとって地方政府が最大の抵抗勢力になっている」という趣旨の、次の『瞭望週刊』の記事は非常に興味深い。
http://news.sohu.com/20051121/n227553965.shtml
 いずれ戸籍改革と労働力移動の自由化は避けられない問題だとしても、無理のない実現までには相当時間がかかりそうだ。

 ということで、現実問題として、結局「内需拡大策」として行われるのは

1b.西部大開発の流れを継承する、内陸部に労働力と民間資本をつなぎとめておくためのインフラ建設
といったところに落ち着くのではないだろうか。しかし、これは1a.にくらべて資源の最適な配分という点では大きな問題がある。この点で、資本の効率的な配分を志向する2.の政策とも矛盾すると考えたわけだ。2.のような高金利政策がとられた場合、それが沿海部経済においては適正なものであっても、内陸部においては高すぎるものになる可能性が高いからだ。 


 最後に、「私的財産権の保護や法治主義の徹底」といった「構造改革」をどう評価するか、という点について。まず、2.のような資本市場のゆがみを是正し、金融政策を国内景気と物価の安定にに割り当てる立場がこういった「構造改革」と親和的なのはあきらかだろう。
 では、1.の内需拡大路線はどうか。まず1a.については、上に述べたように資源の最適配分という点からすれば望ましい政策なので、このような「市場保全的な(=青木昌彦用語)」構造改革とはやはり親和的だろう。しかし1b.はむしろ市場メカニズムに逆らうような資源の配分を暫定的にせよ容認する側面があるので、その点では「構造改革」とは矛盾すると考えられる。
 また、それぞれの政策を支持している層の問題がある。2.を主張しているのは主に中央(北京)の経済系の官僚やそのブレーンの学者、あるいは民間エコノミストだったりする。彼らは基本的に市場メカニズムをより円滑にすることが重要だと考えているので、当然こういった「構造改革」を支持する。しかし、1b.は主に地方官僚、あるいは中央であれば農業政策を担当する部署の利害を代弁したものである。それらの層はこういった「構造改革」については、「抵抗勢力」とまではいかないまでも、積極的に支持するインセンティヴも薄いと思われる。
 というわけで、bewaadさんの「財政も金融も構造改革も」という結論は、内需拡大路線として1a.のようなものが採用されることを前提としたときに導かれるものであり、それに対して僕は現実にはむしろ1b.のようなバラマキ型の再分配政策がとられる可能性が高い、と考えているので、冒頭のような意見の違いが生じてくるのではないだろうか。
 ・・ということで、少しは論点が整理されただろうか?