梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

「愛国青年」における三つの層について

 さて、先日bewaadさんが取り上げていた竹中平蔵ブレーンによる「革命的フリーター論」を、コメント欄でのすなふきんさんの指摘でいまさらながら目を通してみた。

ここには、小泉総理と若い層が「真ん中」の層をサンドイッチにして「文化大革命」をしかけている、という新鮮な構図が。

 ・・一読した印象は、小泉サイドの人間がこういう物言いをするんだったら、小泉批判派も彼をヒトラーなんぞになぞらえるのではなく、いっそのこと毛沢東になぞらえて批判すれば二重の意味で皮肉が聞いてて面白かったんじゃないかということだ。少なくとも朝日にそういった趣旨の論説が載ったら少しは朝日を見直す人も増えたんじゃないだろうか。まあ、外見的にみてもこの「見立て」はかなり無理っぽくはあるけれど。


 もっとも、id:kaikaji:20051023のコメント欄でも触れたように、9.11以降の小泉政権の「大躍進」を文革となぞらえるのは、皮肉あるいはネタとしては面白いけど、そこからあまり本質的な洞察のようなものは出てこないだろう。むしろ僕が件の文章を読んでみて、あるいは話題になっている三浦展下流社会ISBN:4334033210かの文章(http://blog.tatsuru.com/archives/001341.phpとかid:solar:20051102:p1とか)に目を通してみて*1感じたのは、「自分たちを搾取する政府を一生懸命支持する若年層」という構図において、日本と中国の間に奇妙な共通性があるのではないか、ということだ。

 ここで、いささか乱暴かもしれないが、近年の中国の愛国青年たちを「都市B層」にならって「愛国A層」「愛国B層」「愛国C層」という三つの層に分類してみよう。といっても、なんらかの実体的な根拠に基づいた分類などではないので、とりあえずネタとしてお付き合いいただきたい。ただ、一口に「中国の愛国主義」といってもその内部に何らかの形でこのような「分化」が生じているのではないか、ということを実感として抱いているのは事実である。


 さて、この愛国ピラミッドの頂点を飾る「愛国A層」には、例えば昨日のエントリでとりあげたような、中国における「法の支配」「小さな政府」などの重要性を説く市場主義的自由主義の信奉者であるエリート層が位置するだろう。彼ら/彼女らはもちろん中国の富強を第一に考えているという点でナショナリストだし、おそらく日本に対しても他の層と同じようにあまりいい感情を持っていないと考えられるが、それをあからさまに口に出すのは得策でないと知っているのであまり表には出さない。というか、こういったエリート層は、中国が国際社会で直面しているさまざまな問題は、中国がグローバルスタンダードを身につけ国際的な地位を向上させることによって解決すべきと考えているので、あまり近視眼的・感情的に日本を叩くことに関心がないといった方がいいかもしれない。また、これも昨日のエントリで触れたように、国内のさまざまな格差や貧困問題に対しては概して関心が低いのもこの層の特徴である。

 次に「B層」だが、ネットなどで時々反日・愛国的な書き込みをしたりはするが、自分でサイトの管理者になったり、デモを組織したりするような「危ない」ことはしない、都市中間層のマジョリティがここに含まれるだろう。「釣魚島上陸のニュースを聞いて大喜びする一方で、それが、もし自分の子供だとわかったら、『絶対ダメ!』と反対する。中国家庭の親なんてそんなものだ」というある愛国青年の言葉(水谷尚子『「反日」解剖』文藝春秋社、より)は、この層のメンタリティをよくあらわしているだろう。

 そして最下層の「C層」に位置するのは、いわゆる日本で「反日愛国青年」もしくは「憤青」として認識されている、実際に反日サイトを運営したり、署名活動や街頭デモ、さらには魚釣島上陸などの示威行動の先頭に立つような青年たちだろう。ここでいう「C層」の青年たちは、もともとは学歴が高いので、必ずしも低賃金層というわけではなく、もちろん中国社会の中では比較的恵まれた階層に入る。しかし、反日活動にのめりこみすぎて職場との摩擦が生じ、安定した職場を離れざるを得ない、といった状況も存在するなど、一種の「自己実現」「自分らしさ」としての反日愛国主義を貫くためにあえて「生きずらい」道を選んでいるという点では、三浦展氏の描く日本の「下流」若年層に通ずるものがあるといえるかもしれない。


 ここで注目すべきなのは、どう考えても、それがいかにタテマエであっても社会主義国家としての体制を揺るがしかねない「危険」な思想を唱えているのはA層のエリート層の方であり、それに対してC層の反日青年たちは国家のイデオロギーに忠実なだけであるのに、サイトを閉鎖されたり、パソコンを押収されたり、公安にマークされたり、中国政府から冷たい仕打ちを受けているのはあくまで後者のほうだ、ということだ。 この辺は戦前の天皇機関説に関する「顕教」と「密教」の構図が当てはまるような気がしてならない。また、水谷尚子によるインタビューを読めば、彼らは政府ににらまれるだけではなく、反日活動が原因で職場で煙たがられたり、彼女に振られそうになったり、果ては「糞青」などとと揶揄されたり、まさに「反日」が原因で散々な目にあっているということがわかる。だが、彼らは客観的にみればどれだけ虐げられた境遇におかれようとも、決して中国政府を批判しようとしないのだ。
 つまり、日本でも中国でも、現政権によって最も割を食っていそうな層がもっとも強固なその支持者になっており、しかもそれらの層同士がネット上でお互いを「キ○ガイ」と罵り合っている、という構図が存在しているのではあるまいか。

 もちろん、だからといって、日中の「下流(BC層)」青年余団結せよ!などといった寝ぼけたスローガンを唱えるつもりはない。両者の間に存在する絶望的な認識ギャップを考えれば、それがいかに空虚なものでしかないかということもよくわかっているからだ。だが、この状況は何かとんでもなくねじれたものである、という思いは僕の中でほとんど確信となりつつある。このこじれた状況をどうやってほぐせるのかわからないけれども、とりあえずこうやっておかしいとおもうことをおかしいと言い続けることくらいしかないか。

*1:ただし私自身は三浦展氏のものは『ファスト風土化する日本』しか読んでないが、興味深く感じたもののある種の危うさも感じた。その危うさについては後藤和智さんが丁寧に展開してくれていて、共感する点が多かった。http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2005/09/post_4a27.html