DSL開通はまだだが、プロテクトのかかっていないネットワークが見つかったので、早速便乗させていただく。これならあわててDSL申し込む必要なかったかも。
さて、タイトルは選挙も終わった今となっては昔の話題といわざるを得ないのだろうが、出発前から気になっていたもので、いわば放出ネタです。要するに、何で9月3日やねん、ということなのだが、これについては、佐藤卓己『八月十五日の神話』ISBN:4480062440 がタイムリーに出たこともあって、話題にした人も多かったようだ(http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/archives/000220.html など)。ただ、同書に関する下記のような指摘はやはり気になる。
http://plaza.rakuten.co.jp/boushiyak/diary/200508010000/
何よりぶったまげたのは、中国の戦勝記念日≪9月3日≫が、スターリン【中ソ同盟の歴史的遺産】にされていることでしょう。それはもともと、45年9月3日、重慶で慶祝式典が開かれ、復員推進と憲政実施をうたった『中国国民党為抗戦勝利告全国同胞書』が発表され、【抗日戦争結束日】を9月3日にしたことに起源がある。それが1946年、「抗日戦勝記念日」となってゆくのですが、なぜか<9月3日に定めた1951年「中共」布告内にみられる、ソ連への賛辞・感謝>⇒<50年中ソ同盟>⇒<蒋介石も45年「中ソ同盟」を締結して9月3日に定めた>と遡及されてゆき、「ソ連標準」(=9月3日)にあわせたと断定されてしまう。いったい、なにを根拠にしてるんでしょう?
要するに、日本における「8月15日」神話の形成過程に関する検証は比較的丁寧に行われているのだが、それと対になっているはずのアジア諸国における戦勝記念日制定の背景の分析になるときちんとした検証に基づかない推測が多いものになっているのではないか、という指摘である。
この突っ込みが正当なものかを判断する力は僕にはないのだが、中国史の専門家がこれに言及したものとしては、『中国研究月報』9月号の川島真氏のエッセイが目に付いたくらいだった。川島氏は、上記の重慶での慶祝式典のことは指摘しつつも、国民党政権が記念日を9月3日にはっきりした理由はわからないこと、近年はより「抗日戦勝利」を際立たせるため8月15日を正式な記念日にすべきだ、という声が各方面から上がっていること、を指摘していた(ように思う。手元にないので)。結局のところなぜ9月3日か、というはっきりとした理由は専門家でもよくわからないようだ。
これとは別に佐藤著には、蒋介石が「総統」と名乗ったことにはナチスの影響が伺える、という記述があり、ここにも首をかしげざるを得なかった。「総統」は単にpresidentの中国語訳なので、Fuhrerとは何の関係もないはずなのだが・・
参考: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E7%B5%B1
以上のいくつかの点から判断するに、どうも8月15日に間に合わせるために急いで出版されたために、著者の専門である日本史以外の記述にはかなり(素人でも気づくくらいの)粗が目立つ結果になってしまった、ということではないだろうか。面白い本だけにちょっと残念ではある。
ちなみに、8月末に中国へ行った際につけたテレビでは、抗日戦争ものだけでなくナチス(野占領下にあるヨーロッパのどこかにある国)を描いた映画かドラマをかなり延々と放送していたのが印象的だった。ともすれば「抗日戦争勝利」の物語のみで盛り上がろうとする大衆に対して、あくまでも連合国の一員として第二次世界大戦を戦ったということを印象付けようとする狙いだろうか。せいぜい2,3日ヲチしただけだから何ともいえないけど。