梶ピエールのブログ

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今月の諸君

 稲葉さんが『諸君!』8月号の論考のタイトルについていろいろ言い訳をされているがid:shinichiroinaba:20050713、まあいいじゃないですか「ゴキブリ」くらい、SAPIOといい中国・朝鮮半島関係の記事のタイトルのアナーキーさに比べたら。なにしろここ数年の記事のタイトルだけ眺めてたらこの間2,3回くらい政権が転覆したと勘違いしそうで、よくもまあ毎回似たようで少しづつ違うタイトルをつけられるものだと感心する。


 内容について簡単に感想を述べさせていただくと、ヨーロッパでのマルクス主義ポストモダン思想の結びつきを理解するにはとても説得的だと思うのだが、日本固有の文脈における「ポストモダン左旋回」にはやはり「アジア(との連帯)」「冷戦後」「戦争責任」といった一連のキーワードを抜きにしては語れない面があるのではないかと思ったりもするわけで、いつかこういう問題群とも正面から取り組んでいただきたい、というのはまあ身勝手なファン心理ですが。

 8月号では金丸裕一さんの「「南京図書大略奪」のまぼろし」もよく著者が抗議しなかったなと思えるタイトル。これでは一歩間違えれば「南京虐殺まぼろし論」までも支持していると思われかねないし、頭の固い業界のお歴々はタイトルを見ただけで怒りださないかどうか心配ではある。金丸氏は個人的にもよく存じてあげているが、どちらかというと政治的には左派で、真面目に実証研究を積み重ねてきたタイプの研究者である。もちろん「まぼろし論」を支持してるわけでなく、件の論考はあくまでも、日本軍が虐殺と平行して「図書88万冊の収奪」を行ったとされる説に絞ってその虚構性を指摘したもの。まあ詳細は雑誌をお読みください。
 稲葉さんの論考の内容ともかかわるが、彼のような「頑固親父的」実証研究者がこういう(『諸君!』)ところに書くようになったというのは、たとえ政治的に左よりでも件の『現代思想』の反日特集のようなスタンスには違和感を抱く人が多い、ということとも関係しているような気がしてならない。実際に声を上げるかどうかとなるとまだ微妙なところがあるんだろうけど。

 というわけでついでに話題の仲正昌樹『なぜ「話」は通じないのか』ISBN:4794966709 についても触れておくと、その特異な「芸風」についてはともかく(個人的には『日常・共同体・アイロニー』での、いちゃもんを付けてきた事務職員に足払いをかけて投げ飛ばしたという話の方に衝撃を受けた)、基本的にその手の研究に関心がないせいか、「実証」というものについてかなり偏ったイメージを抱いておられるように思えるところにはちょっと引っかかりを覚えた。「実証主義」は別に左翼の専売特許ではなくて、だからこそ秦郁彦と吉見義明の間に対話が成り立つのだと思うのだが。もしかしたら「実証」とは、その意味するところについて異なる学問分野の間ではほとんどコンセンサスが成立していない概念なのかもしれない。